カルチャー
2014年12月26日
【トンデモ将軍列伝4】大乱があろうとも趣味に没頭していた将軍・足利義政
[連載] 本当は全然偉くない征夷大将軍の真実【5】
監修・二木謙一/文・海童 暖
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「征夷大将軍」といえば、武士の棟梁であり、さぞかし立派な人物であると思いがちである。が、しかし、その実態はトンデモな人物だらけだった!『本当は全然偉くない征夷大将軍の真実』(SB新書)から、武家政権を支配した“将軍様”の素顔を紹介する本連載。第5回目は、室町幕府8代将軍・足利義政について見ていこう。


早熟な義政は、なんと乳母を側室にしていた


足利義政(将軍在任:1449年4月~1473年12月)
(c)フレッシュ・アップ・スタジオ

 足利義政は、永享8年(1436)1月に、6代将軍足利義教の三男として生まれ、幼名をといった。7代将軍義勝の2つ違いの弟である。

 兄が将軍となるので、将来は僧になる予定だった。
 ところが兄の夭折によって運命は急転した。

 義勝が死去した時、義政はまだ八歳だったが、管領の畠山持国などの後見を得て将軍職に選出され、元服した宝徳元年(1449)に、8代将軍として就任し、義勝の死後6年間続いた将軍空白時代は終わった。

 最初のうちは義政も、政務に積極的にかかわろうとしていた。しかし当時幕府の主導権を握っていた畠山持国、細川勝元、山名持豊などの重臣たちや母の重子は、義政の命令をしばしば反対し、義政の許可のないまま守護職の任命を行なったりしたので、義政は政治に対する意欲を失っていった。

 義政は早熟で、早くから今参局(いままいりのつぼね)という側室がいた。彼女は義政の乳母であった女性で、義政より10歳の年上であった。義政は気が強く才色兼備だった今参局を寵愛したので、彼女は側室の枠に留まらず、政治に口出しするようになった。

 宝徳3年(1451)に、義政が尾張の守護代を織田敏広(おだとしひろ)から兄の郷広(さとひろ)に交代させようとしたが、尾張守護の斯波氏などが反対し、母の日野重子や管領畠山持国も撤回させようとした。
 だが義政は今参局の意見に従ってこれを退けると、怒った重子は今参局を洛外に追放したが、義政はすぐに戻らせている。

 御今(おいま)と呼ばれた彼女は、有馬持家(ありまもちいえ)、烏丸資任(からすますけとう)(3人ともに「ま」が付く)とともに「三魔」と呼ばれ、「政(まつりごと)は三魔より出づ」などと言われるようになっていた。

政治に興味を失った義政が起こした騒動の火種


 康正元年(1455)に、義政は16歳の日野富子(ひのとみこ)を正室に迎えた。後に「日本史上最大の悪妻」とまで言われた女性である。

 結婚5年目に富子は男子を出産し、義政は歓喜したが、この子は生後間もなく死んでしまった。これは今参局の呪詛によるという風評が起こり、義政は今参局を琵琶湖の沖ノ島に配流させた。
 彼女は配流途中の近江の寺で自刃したとされるが、富子の差し金による殺害を誰も疑わなかった。

 今参局の死後、義政と富子の間は不和になり、義政は花見や紅葉狩り、酒宴などを頻繁に行ない、政務を見ることはなかった。そして義政は、建築や造園に熱を注ぎ、室町殿の復旧では設計から工事まで、すべて義政自身が中心となって進めた。

 世間は深刻な大飢饉に苦しみ、水害や干害、地震などが頻発し、異常気象が続いた。大飢饉は京にもおよび、台風による河川の氾濫で京への食糧の搬入が困難になったため、多くの餓死者が出て、賀茂川が死体で堰き止められるありさまだった。
 世間の惨状に目を向けようともしない義政に、後花園天皇が義政を非難する文書を送ったが、義政には効果がなかった。

 義政は政治から離れて趣味に没頭したいと願い、早く引退したいとした。なぜか義政は男子が生まれないものと諦めて、浄土寺の僧である弟の義尋(ぎじん)を養子とし後継者とした。義尋は義政の申し出を断ったが、義政が「将来男子が生まれても僧にして、将軍職は必ず譲る」とする誓詞を渡したので、還俗して名を義視(よしみ)と改めた。

 しかし皮肉なことに、翌年の寛正6年(1465)になって、富子が男子(後の義尚(よしひさ))を出産したのだ。義政はこの子を将軍にしたいと望み、生母の富子は義視と対立する。
 義視が管領の細川勝元(ほそかわかつもと)を頼ると、富子は義尚の後見を山名持豊(やまなもちとよ)に頼んだ。

 こうして富子と義視の対立は、山名持豊と細川勝元の対立へと転化し、紆余曲折の末に斯波氏と畠山氏の内紛を巻き込んで「応仁の乱」へと雪崩れ込んでいく。

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本当は全然偉くない征夷大将軍の真実
武家政権を支配した“将軍様”の素顔
二木謙一 監修/海童 暖 著



【監修】二木謙一(ふたきけんいち)
1940年東京都生まれ。國學院大學大学院日本史学専攻博士課程修了。國學院大學名誉教授。豊島岡女子学園理事長。文学博士。『中世武家儀礼の研究』(吉川弘文館)でサントリー学芸賞を受賞。主な著書に『関ヶ原合戦─戦国のいちばん長い日』(中公新書)、『戦国 城と合戦 知れば知るほど』(実業之日本社)ほか多数。NHK大河ドラマ「平清盛」「江~姫たちの戦国~」「軍師 官兵衛」ほか多数の風俗・時代考証も手がけている。