スキルアップ
2015年4月27日
中国から見れば海を塞ぐ日本列島は邪魔な存在
[連載] 「逆さ地図」で読み解く世界情勢の本質【2】
文・松本利秋
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中国の支配者の関心は北方に向いていた


 大陸国家である中国も、海を渡って進出を試みたが目的を果たせなかった歴史がある。それは日本を「黄金の国ジパング」としてヨーロッパに紹介したイタリア人、マルコ・ポーロの大冒険の顛末に象徴されている。

 マルコ・ポーロは1271年にイタリアを出発し、当時、ローマと中国を結ぶ陸路のシルクロードを通って北京に到着したことはよく知られている。では帰りも陸路だったかというとそうではない。帰りは海路を通ってベネチアに帰ったのである。

 彼は1292年に、ペルシャに嫁ぐダッタンの王女のエスコート役として杭州を出発し、マラッカ、インド洋を通ってペルシャのホルムズに上陸。そこから陸路で本国に帰国している。当時は杭州出発から帰国までに3年という期間を要した。

 マルコ・ポーロは北京で元の皇帝フビライに謁見している。蒙古民族の元は、陸路を馬で駆け抜けて中国に攻め入り、ヨーロッパを席巻した一大ランドパワーの帝国である。

 蒙古の侵攻によって、中国で権勢を誇っていた宋は南部に追いやられた。杭州を中心とした南宋は、ペルシャを含むアラビア商人たちとともに、盛んに海洋交易を行なっていたシーパワー国家であった。

 元は1274年には、朝鮮の高麗軍に先導させて日本の北九州に押し寄せた「文永の役」が失敗に終わり、その後の1279年には南宋を滅ぼし、造船技術や外洋航海技術を習得した。このことが1281年に、再度日本に遠征をする「弘安の役」に繋がってくる。元は二度にわたる日本侵攻作戦に失敗した後、先祖がえりをして外洋に出て行くことはなかったのである。

 そして明朝時代には雲南出身のイスラム教徒の鄭和が指揮する船団が、八度にわたって外洋に出て行き、アフリカのケニアにまで航海したほどのシーパワー国家となった。だがその後、満州出身の清王朝となり、外モンゴル、チベットを征服する大ランドパワーへと変化した。

 こうして中国の歴史を見てみると、失敗した日本遠征を除いて、中国の支配者の関心は主に北方に向いていて、南方である海にはあまり興味がなく、その状態が19世紀の半ばまで続いたのである。従って、長い間地図を逆に見て日本列島が邪魔になっているという感覚はほとんどなかったと言えるのだ。

本格的に海洋に進出しだした中国


中国が引いた「第一列島線」「第二列島線」 (c)フレッシュ・アップ・スタジオ 無断転載を禁ず ※クリックすると拡大

 こうした中国が、劇的に変化するのが、1840年から2年間続いた「アヘン戦争」からだ。産業革命の成功によって強大な力を持つようになったイギリスは、アジア各地のほとんどを植民地にしてしまい、広大な消費地の中国大陸に目をつけ、侵略しようとした。

 その手始めに、植民地とするインドで採れた麻薬のアヘンを、清国に売りつけようとした。だが清国はそれを断固拒否したため、イギリスは戦争に持ち込んで勝利した。その結果、清国はイギリスに香港島とその対岸にある九龍半島を割譲させられたのである。このことが中国人の心の中に屈辱の歴史として刻み込まれ、海洋から攻め込んで来る勢力に敵愾心を持つようになった。

 その後に日本と、朝鮮半島の覇権を巡って1894年から1895年にかけて起こった「日清戦争」にも敗れ、台湾を日本に割譲した。中国側の主張に立てば、尖閣諸島もこの時に日本に奪われたものであるとし、第二次世界大戦で敗戦国となった日本は、尖閣諸島が中国領であることを認め中国に返還すべきだということになる。

 このように中国が海洋に目を向け始めたのが19世紀後半であり、本格的に進出を決めたのが1949年の中華人民共和国が成立してから以後のことだ。

 中国が改革開放経済政策を採って経済力がついてくると、積極的な海洋進出を試みるようになった。地図を逆に見ると、日本列島をはじめ沖縄、台湾、フィリピン、ベトナムにいたる諸島群が中国にとって実に邪魔な存在なのだ。

 中国は1980年代から、これを何とか突破したいという思いを具体化させた。中国人民解放軍(中国軍は国家の軍ではなく、正式には中国共産党の軍事部門で、この名称である)の海軍は、地図の上に日本列島から台湾、フィリピン、南シナ海にいたる線を引き「第一列島線」としたのである。さらには日本の本州から小笠原諸島、グアム、ニューギニアを結んだ線を「第二列島線」とした。中国海軍はこの二つの線の内側を勢力圏内とし、海洋からの外国勢力を入れないようにする戦略を採ると決めたのだ。

 1992年に、中国が制定した国内法「領海法」では、一方的に尖閣諸島、スプラトリー諸島(南沙諸島)とパラセル諸島(西沙諸島)の領有権を主張するだけでなく、東シナ海において大陸棚の自然延長を理由に沖縄近海の海域までの管轄権を主張している。

 日本人の常識では、尖閣諸島を巡る問題は2012年9月に、日本政府が尖閣諸島を国有化してからにわかに始まったように見えているだろうが、実は中国の長い歴史の中で地図を逆に見るようになってからのことなのだ。

 現在の中国にとって、日本列島が邪魔な存在であるとしても、国家はお互いに引っ越すことはできないのだから、問題は複雑極まりないところまできていると言えよう。

 なお、「逆さ地図」については、5月17日発売の『「逆さ地図」で読み解く世界情勢の本質』(SB新書)でカラーで収録のうえ、イスラム国(IS)、中国、ロシアなどの情勢を解説している。ぜひご一読いただきたい。

(了)
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「逆さ地図」で読み解く世界情勢の本質
松本利秋 著



松本利秋(まつもととしあき)
1947年高知県安芸郡生まれ。1971年明治大学政治経済学部政治学科卒業。国士舘大学大学院政治学研究科修士課程修了、政治学修士、国士舘大学政経学部政治学科講師。ジャーナリストとしてアメリカ、アフガニスタン、パキスタン、エジプト、カンボジア、ラオス、北方領土などの紛争地帯を取材。TV、新聞、雑誌のコメンテイター、各種企業、省庁などで講演。著書に『戦争民営化』(祥伝社)、『国際テロファイル』(かや書房)、『「極東危機」の最前線』(廣済堂出版)、『軍事同盟・日米安保条約』(クレスト社)、『熱風アジア戦機の最前線』(司書房)など多数。