スキルアップ
2015年6月29日
他人の目を気にしてますます不自由になる愚
[連載] 人と比べない生き方――劣等感を力に変える処方箋【6】
文・和田 秀樹
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他人からどう思われているかを気にする人


 他人の目が気になると言う人が少なからずいます。これに対してアドラーは、「他人からどう思われているかを気にするべきではない」と言っています。
 スクール・カーストのように、友達にどれだけ好かれているかということが競争のポイントになると、他人からどう思われているかが非常に気になります。そこで、人に気に入られることをしたり、あるいは嫌われないように振る舞ったりするわけです。

 たとえば、勉強や運動能力が人並み以上にできるとイヤなヤツだと思われるようなクラスにいれば、前にも述べたようにわざとテストで間違えて点数を低く抑えたり、誰よりも足が速くても、運動会の競走で2位にあまりにも差をつけて勝ってしまうと、「アイツは性格が悪いよな」という話になるので、わざと力を抜いてあまり差をつけない勝ち方をしなければならなくなるなど、相当に不自由なことになるわけです。

 これは競争がいびつな形で現れるということですが、こういうおかしな競争社会を見ると、受験競争やスポーツにおける競争のように、自分のパフォーマンスを上げていくほうがはるかに健全と言えるでしょう。他人がどう見ようと、自分が努力していけばパフォーマンスは上がっていくのですから、人の顔色を見る必要はないのです。

 ですから、学校教育も競争して学力を磨いていくシステムを強化していくべきであって、それが健全な競争でもあると言えるわけですが、文部科学大臣の諮問機関である中教審(中央教育審議会)が2014年12月に発表した答申を見てみると、どういうわけか学力テストのないAO試や推薦入学を増やせと言っているのです。これでは日本人の学力はどんどん下がっていくと同時に、競争力のない人間がたくさん出てくることになるでしょう。

 かつて学力競争が激しかったころの日本の中高生の学力は、世界最高水準だと言われていました。その学力に裏打ちされた高度な技術力と労働者の質の高さによって、戦争に負けた日本が驚異的な経済的繁栄を成し遂げてきたことを考えれば、中教審の答申は、日本の国力をどんどん下げていく後ろ向きの政策提案であると言っても過言ではありません。学校教育において健全な競争がないがしろにされることで、社会の歪みはさらに大きなものになっていく危険性もあると言えるでしょう。

競争は続くものであり、逆転するものである


 ノーベル賞を受賞した京都大学iPS細胞研究所の山中伸弥教授は、神戸大学医学部の出身だったことから、「東大や京大出身者でもないのにノーベル賞を取るとはスゴイ!」と、驚いた人も少なからずいたようです。

 一般の人から見ると、神戸大医学部と東大医学部では相当な差があるように見えるかもしれませんが、山中教授が受験した当時の共通一次試験ではおそらく足切り点は1000点満点で50点も差はなかったと思います。東大医学部のほうがランクが上であることは確かですが、どちらの大学に入った人も受験の勝ち組と言っていいでしょう。

 また、山中教授の経歴を見ると、神戸大医学部から大阪市立大学の大学院に行き、海外に留学し、そして奈良先端科学技術大学院大学、京都大学へというように、競争的環境に身を置いてパフォーマンスを上げてきたことがうかがえます。

 ここで改めて皆さんに気づいていただきたいのは、競争というのはあるところで終わるものではないということです。たとえば、ある人が東大医学部に入り、ある人が神戸大医学部に入ったとして、たしかにその時点ではランクが上である東大に入ったほうが勝っているように見えますが、その後の展開がどうなるかはわからないのです。神戸大医学部出身者がノーベル賞を取り、東大医学部出身者が東大卒だらけの東大病院で出世街道から外れてくすぶっているということもあり得るわけです。

 中学受験でも同じようなケースがあって、難関の中高一貫校に受かっても、二流三流の大学にしか合格できなかったり、逆に中学や高校はランクがそんなに高くなくても、大学受験では東大や医学部に合格する人もいるわけです。ということは、競争というものには逆転も付きものだということになります。

 一般の企業では、入社試験の時点では学歴が重視されるかもしれませんが、会社に入ってしまえば当然ながら仕事の能力が評価の基準になります。ですから、二流大学の出身者であっても仕事ができれば東大卒の人より出世するということはざらにあるわけです。

 考えてみれば、日本の官僚システムにはその当たり前の競走がほとんどありません。キャリア同士の競争は多少あるかもしれませんが、キャリアであればある程度出世は保証されているし、ノンキャリアの人はどんなに優秀でもキャリアにしか就けないポジションには就けないとされています。大学に入った時点での競争をそのまま引き継ぎ、逆転もほとんどないのですから、優越性を追求する意欲もなくなるはずです。競争して勝とうという意欲もないとすれば、個人のパフォーマンスもなかなか上がらないでしょう。

 日本人の悪いところは、学歴なら学歴、どこの会社に入るならどこの会社に入るで競争が終わったように思ってしまう点だと思います。そういう皮相な見方をついついしてしまうのです。しかし、先ほど述べたように、生きている限り競争は終わらないし、逆転も可能なのです。

 大学教授などを見ていても、なるまでは競争があるかもしれませんが、特に東大教授などの場合は、なってから競争がろくになく定年まで身分が保証されるから、ろくな業績が上げられないように思えてなりません。まだ頑張れば1ランク上の大学の教授になれるかもしれない二流ランクの大学の教授のほうが勉強をする人も多いようです。

 付け加えておくと、会社内での競争、つまり出世競争について言えば、他人の目を通して出世するか、あるいは自分の能力を高めて出世するという2つの道があります。前者は上司に気に入られて出世するというパターンですが、常に上司の顔色をうかがいながら、それに合わせていくには精神的な負担も相当なものがあるでしょう。

 また、いつも上司の目を気にしなければならないので、不自由であることは間違いありません。やはり、他人の目を気にせずに、堂々と自分の力で勝負していくほうが精神的にも良いということになります。

 なお、この連載のメインテーマである「比べること」については、拙著『人と比べない生き方――劣等感を力に変える処方箋』(SB新書)でも、アドラーやコフートの理論を交えながら解説しているので、あわせてご一読いただければ幸いです。

(了)
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人と比べない生き方
劣等感を力に変える処方箋
和田秀樹 著



和田秀樹(わだひでき)
1960年大阪府生まれ。1985年東京大学医学部卒業。東京大学医学部附属病院精神神経科助手、米国カール・メニンガー精神医学学校国際フェローを経て、現在は精神科医。和田秀樹こころと体のクリニック院長。国際医療福祉大学教授(医療福祉学研究科臨床心理学専攻)。一橋大学経済学部非常勤講師(医療経済学)。川崎幸病院精神科顧問。著書に『比べてわかる! フロイトとアドラーの心理学』『自分が自分でいられるコフート心理学入門』(以上、青春出版社)、『自分は自分 人は人』『感情的にならない本』(以上、新講社)など多数。