カルチャー
2015年7月21日
ベトナムはなぜ大国に尻尾を振らないのか
[連載] 中国との付き合い方はベトナムに学べ【4】
文・中村繁夫
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精神的ルールを共有することの重要性


現在のベトナムの地図 (c)辻デザイン(無断転載を禁ず) ※クリックすると拡大

 日本には「武士道」というものがある。現代の日本で武士道がどこまで生きているかはわからないが、中国やベトナムに限らず、世界と付き合っていくためには、日本の文化的精神的バックグラウンドを相手に理解してもらうことも大切だ。

 なぜなら、さまざまな行き違いからのトラブルは必ず起こるからである。日本では当たり前のことが通用しない。そのときに、相手の国の成熟度に合わせて対応していくことが肝要となるわけだが、私が適用するのは武士道である。

 なぜ「武士道」なのか。最初に英語で紹介された書物が『武士道』ということからも、国を超えて客観性がある程度担保され、しかも日本人の普遍的なエッセンスが入っているからである。日本文化の中でやってはいけないとされること、日本人の矜持などがわかりやすく書かれている。

 そうした精神的ルールを相手と共有できなければ、さまざまなトラブルに対処することも困難になるであろう。

 相手がベトナム人の場合には、なおさら武士道の精神は受け入れられやすい。仏教徒としての精神性にも通じるものがあるだけに、何かトラブルがあっても、お互いの非を認めた上で、それ以上騒ぎを大きくするのはトラブルを起こす以上に良くないことであるという考え方が通用するからだ。

 たとえば労働条件についてベトナム人が不満を持ったとしても、それが一時的なもので将来的に解消の見込みが示されていれば彼らは我慢をする。一方、それが中国人の場合なら、不平不満をストレートにぶつけてきて騒ぎを大きくすることで認めさせようとする。

 もし、ベトナム人が我慢できないほど、不満の解消の見込みがないと判断すれば、中国人のようには騒がず黙って去っていくであろう。なぜなら、彼らは身内では、議論を戦わせて自分が優位に立とうとはあまりしないからである。

 言い換えると、中国人よりもベトナム人のほうが「ファミリー」にはなりやすい。
 その反面、身内ではない関係、つまりビジネスの交渉事で対峙すると、前回触れたように真綿で首を絞め付けられるような苦しみを味わうことになりやすい。

 もし鄧小平(とうしょうへい)と商談をすれば徹底的に条件闘争をして攻め込んでくるだろう。ホー・チ・ミンなら高い精神性が求められ、そこを理解共有できなければ黙って去られてしまうだろう。どちらが怖いかと言えば、黙って消え去られてしまうほうが怖いし厄介なのである。

ベトナムが大国相手に尻尾を振らない理由


 日本もベトナムも共に米国と戦争を行った国である。それだけに、米国との付き合い方には、さまざまな思いと考え方が交錯する。

 ベトナム人のエリートから見ると、日本人が思っている以上に米国と日本の関係は近いものに見えるらしい。若い世代が米国に対して、特にネガティブな感情を持っていないのは日本もベトナムも共通している。しかし、ベトナムでも50代以上の世代は米国に苦しめられた経験をしているだけに、日本と米国の関係の複雑さはよくわかっているのである。

 そして、現在、もう一つの"大国"である中国との関係に悩ましさを感じるのも日本とベトナムの共通点だろう。しかし、日本が中国との付き合い方を定められずにいるのに対して、ベトナムは「利用できるものは利用する」と割り切っている。ここは日本と違うところだ。

 ただ、ベトナムは中国の悪い部分は自分たちも同種同根と捉えているフシがある。
 なぜならミャンマーほどではないにしてもベトナム北部では中国人の血がかなり混じっているからだ。

 言語的に見ても、ベトナム語と中国語は兄弟言語である。ベトナムの首都ハノイは、漢字では「河内」と書き「フーネイ」と発音するが、ハノイが紅河(こうが) と蘇瀝江(トーリック川)に囲まれていたことに由来している。

 フーネイがハノイになったように、ベトナム人は中国人のことを厄介な親戚のような感覚で捉えているのかもしれない。地続きの隣国ではあるのだが、決して「腐れ縁の友人」とは思っていないのである。

 ことほど左様に、ベトナムは米国に対しても中国に対しても、尻尾を振ったり、友人として捉えるようなことはせず、歴史から来るどうしようもない部分は受け入れ、それ以外は利用できるものは利用するという大人の考え方をしているのだ。

行動できるベトナム、行動できない日本


 日本とベトナムには共通点も多く、文化的バックグラウンドにおいてお互いに理解できる部分も少なくない。
 それにもかかわらず、ベトナムは中国相手にも自分たちの行動ができるのに、なぜ日本は行動できないのだろうか。

 実は、私の会社では現地パートナーと協力して2012年にハノイ郊外に2.3万平方メートルの工場用地を購入した。もともとは自社でレアメタル工場を建てる計画だったのだが、さまざまな事情から断念し、現在はリース工場として運営をしている。

 そこには多くのクライアントからの引き合いがあるが、多くは日本からではなく、中国で既に工場を持っている経営者からである。ご存じのように中国での人件費の高騰に音を上げて移転先を探しているのだ。

 ミャンマーやカンボジアなども候補地にはあげられているが、日本人の感覚ではベトナムのほうに親近感を持てるのであろう。しかし、実際にインフラなどの面で比べると、まだまだ中国のほうに分があるのは事実だ。何より実績がある。

 我われが、サポートをしても、なかなかベトナム移転に踏み切れない経営者も多い。つまり、成功事例がないと日本人は動けないのだ。前例主義である。中国には既に、多くの事例がある。ベトナムは親日的で良いという話は聞くけれども、ベトナム移転の絶対数がまだまだ少ない。そこで二の足を踏んでいるというわけだ。

 なにしろベトナムという国自体が、まだ若い。逆に言えばこれからの先物買いができる国だ。これは私見だが、いずれベトナムを含めたASEANはEUのようになっていくだろう。

 今はまだ、ヨーロッパで言えば日本の精密機器メーカーがドイツに進出するならわかるが、イタリアやクロアチアに進出するとなると「?」がつくようなものかもしれないが、やがてベトナムがこれまでの中国のような選択肢になることは間違いない。

 ただし、ベトナムとの交渉事の難しさは何度も言うように中国以上である。中国でうまくいかなかったがベトナムなら成功できると考えるのはやめたほうがいい。

 なお、ベトナムを映し鏡に我われが中国をはじめ世界といかに付き合っていくかについては、7月16日発売の『中国との付き合い方はベトナムに学べ』(SB新書)に詳しくまとめている。久米 宏 氏にもご推薦を賜っている。あわせてご一読いただきたい。

(了)
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中国との付き合い方はベトナムに学べ
中村繁夫 著



【著者】中村繁夫(なかむらしげお)
1947年京都府生まれ。京都府立洛北高校卒業後、静岡大学農学部木材工業科に進学。大学院に進むが休学し、世界放浪の旅へ出かける。ヒッピーのような生活を続けながら、ヨーロッパ、ブラジル、アメリカなど30数カ国を放浪する。約3年の旅を終え、大学院に復学、修士課程を修了。旅を続ける中で、商社の仕事、レアメタルという商材に興味を覚え、繊維と化学品の専門商社、蝶理に27歳の新入社員として入社。約30年勤務し、そのほとんどをレアメタル関連部門でのレアメタル資源開発輸入の業務に従事する。蝶理の経営状況悪化により、55歳でいきなりのリストラ勧告。レアメタル事業をMBOで引き継ぐことを決意し、2003年、蝶理アドバンスト マテリアル ジャパンの社長に就任。翌年、MBOを実施し独立。アドバンスト マテリアル ジャパンの代表取締役社長に就任した。中国、ベトナムをはじめとするアジア各地で会社を設立し、ビジネスを幅広く展開。日本の「レアメタル王」として知られる。交渉を通じて数多くの失敗を経験するなかで、ベトナムの交渉術(対外戦略)が個人・ビジネス・国家レベルでいちばん日本人に参考になることを説く。ウェッジ等でアジアに関するコラムを数多く寄稿。著書に、『レアメタル・パニック』(光文社)、『レアメタル資源争奪戦』(日刊工業新聞社)、『2次会は出るな!』(フォレスト出版)などがある。