カルチャー
2015年7月28日
ソ連に北海道占領を諦めさせた占守島の自衛戦──ソ連軍に抵抗した樋口李一郎の決断
[連載] 日本人が知らない「終戦」秘話【3】
文・松本利秋
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今年は終戦から70周年を迎える。太平洋戦争を知っている世代が年々少なくなる一方で、今年は節目の年ということもあり、戦勝国が対日戦勝利を祝う式典等を予定している。また、あの戦争をテーマにした映画やドラマの放映、出版物の刊行なども相次ぎ、我われ日本人にとって例年に増して「終戦」を意識せざるを得ない年となる。この連載では、これまで昭和史の中で「8月15日」という1日で語られがちであった「終戦」について、戦勝国、交戦国などの視座も交えて、その知られざる一面を取り上げていくものである。連載を通して、日本が対外的に今も直面している多くの問題の根源が「終戦」にあるということが理解できるであろう。今回は、今も引きずる「北方領土問題」がいかにして生まれたかを、「終戦」から紐解いていく。


ポツダム宣言の署名はトルーマンの偽造か?


 1945年7月16日、ソ連の最高指導者スターリンは、第二次世界大戦の戦後処理を話し合うため、ベルリン郊外のポツダムに向かった。スターリンは、このポツダム会談の5ヵ月前には、ヤルタで当時のアメリカ大統領ルーズベルトと、ドイツが降伏した3ヵ月以内に対日参戦をするとしていた。そして、その見返りとして日本の持っていた満州その他極東での、領土や権益を得るという密約をしていた。
 スターリンの目的は、ルーズベルトの死亡後に、副大統領から大統領に昇格したトルーマンに会ってヤルタの密約を確認し、対日参戦の見通しを付けることだった。

 翌17日正午、スターリンはアメリカ代表団の宿舎を訪ね、トルーマンと面会する。この時スターリンは、8月中旬までにソ連が対日参戦することを伝えた。あくる18日には、返礼としてソ連の代表団宿舎を訪ねてきたトルーマンに、スターリンは日本から送られた極秘の親書の写しを手渡した。それは、日本がソ連を通じて終戦を模索していることを示す、天皇からの書簡だった。

 当時の日本とソ連は、日ソ中立条約を結んでおり、1946年の4月まで有効だった。そのため日本政府は、ソ連の仲介を得て、連合国との和平工作を進めようとしていたのだ。
 トルーマンは7月24日の会議が終わった後、スターリンに近づき「われわれは、とてつもない破壊力をもつ新兵器を手にしました」と囁いた。この新兵器とは、アメリカが実験に成功したばかりの原爆のことだった。

 この頃、モスクワの日本大使館は、東京からの指示に従い和平工作を続けていた。7月25日、モスクワの佐藤尚武(さとうなおたけ)大使は、天皇の側近近衛文麿(このえふみまろ)の特使派遣について、再度ソ連に受け入れを要請していた。佐藤はこの成否が日本の運命を決めると考えていたが、ソ連側は何の回答もしなかった。

 アメリカの外交記録によると、その頃ポツダムでは、極東におけるそれぞれの国の、海軍や空軍の行動領域をどう設定するかが話し合われていた。その時に設定された軍事境界線は、朝鮮半島から日本海を通り、宗谷海峡までの線の北側がソ連、南がアメリカ。さらに境界線は、ベーリング海にも引かれている。しかし、千島列島のあるオホーツク海に関しては、米ソ共同の行動領域とするとした。この時点でソ連は、アメリカとの共同作戦でありながらも、千島列島に進攻する際の根拠を手に入れたのである。

 26日の夜、スターリンは驚愕の知らせを受ける。それは1945年7月26日早朝にアメリカ、イギリス、中華民国の名前で、対日降伏勧告のポツダム宣言が、アメリカの戦時情報局(OWI)を通じて、各国の通信社やラジオで発表されたのだ。これは中立国の大使館を通じて、正式な文書として日本政府に提示されたものではない。

 アメリカは、ソ連に事前の相談もなくポツダム宣言を作成しただけではなく、宣言が発せられたベルリン郊外のポツダムには、中華民国の蒋介石総統が参加していない。イギリスのチャーチル首相も、当時は選挙に敗れて首相ではなくなり、本国に帰還せねばならなかったのだ。従って、この二人はポツダム宣言には署名できず、正式に署名できるのはアメリカのトルーマン大統領だけであった。この状況から、チャーチルと蒋介石の署名はトルーマンが偽造したとも言われている。

 ソ連には打診もなく、しかもスターリンがこれを知ったのは、記者団から内容が知らされた後のことだった。このためソ連は、アメリカから対日参戦要請を受けることができず、ヤルタ密約の確認もできないままにポツダム会談を終えたのだった。

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日本人だけが知らない「終戦」の真実
松本利秋 著



松本利秋(まつもととしあき)
1947年高知県安芸郡生まれ。1971年明治大学政治経済学部政治学科卒業。国士舘大学大学院政治学研究科修士課程修了、政治学修士、国士舘大学政経学部政治学科講師。ジャーナリストとしてアメリカ、アフガニスタン、パキスタン、エジプト、カンボジア、ラオス、北方領土などの紛争地帯を取材。TV、新聞、雑誌のコメンテイター、各種企業、省庁などで講演。著書に『戦争民営化』(祥伝社)、『国際テロファイル』(かや書房)、『「極東危機」の最前線』(廣済堂出版)、『軍事同盟・日米安保条約』(クレスト社)、『熱風アジア戦機の最前線』(司書房)、『「逆さ地図」で読み解く世界情勢の本質』(小社刊)など多数。