カルチャー
2016年2月15日
野村克也氏が憂慮「プロ野球選手に求められる善悪の判断」
[連載] 名将の条件――監督受難時代に必要な資質【3】
聞き手・SBCr Online編集部
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前回の記事(『野村克也氏が提言「選手の“しつけ”も監督の仕事」』)では、元プロ野球選手が逮捕される大変残念な事件が起きたことを受け、身だしなみなどの社会人としての常識といった野球以外のことを、監督がどこまで指導する必要があるかについてふれた。今回も引き続き、プロ野球選手が現役時も引退後も社会人としての常識といった野球以外のことを身につける必要性について、野村氏に問うた。


プロ野球選手に必要な「人間教育」


「プロ野球選手は無知無学、いわゆる『野球バカ』が多い。だからこそ人間教育が大切」と説く野村氏(撮影:SBクリエイティブ)

 2015年、巨人のCSでの巻き返しが期待された最中、福田聡志の野球賭博の問題が発覚した。この事件は笠原将生 、松本竜也の3人が関与し、11月に入ってから3選手の契約解除が申し渡されたが、あってはならないことだった。

 さらに、今年2月に入って、西武、巨人などで活躍した清原和博に関する衝撃的な報道があった。清原には去年、銀座で偶然出会った。向こうからあいさつに来るし、礼儀正しいきちっとした人だと思っていただけに、今回の件はとても残念でならない。

 プロ野球選手は、小さい頃から野球しかやっていない。そのうえ、「天才野球少年」などとチヤホヤおだてられながら育っていくものだから、典型的な「野球バカ」になってしまう。ましてや巨人や阪神などの人気球団に入ろうものなら、善悪の区別もつかない大勢の人が近寄ってくる。なかにはタチの悪いタニマチだっているはずだ。

 だが悲しいかな、プロ野球選手は小さい頃から人間関係のなかで揉まれ、苦労していないがために、そうした善悪を見分ける目を持っていない。
 だからこそ、私は監督時代、徹底的に人間教育を施した。選手を指導、教育していたのは目先の勝利のためではない。プロ野球選手の現役時代など、人生の長さからすればたかが知れている。

 みんながみんな、コーチや裏方として球団に残れるわけでもなければ、苦労することのほうが圧倒的に多い。これまで下げたことのない頭を下げる場面だって、仕事によっては決して珍しいことではないだろうし、何より一社会人としてマナーやモラルを身につけていないといけない。

 ましてや巨人には、正力松太郎氏が残した「巨人軍は紳士たれ」という憲章がある。それは「皆の模範にならなければならない」ということだ。

 昨年の巨人の件を見るにつけ、当時の原監督は人間教育をやっていなかったことが一目瞭然だ。事実、原の周辺から人間教育に関するミーティングをやっていたなどという話は、一度たりとも聞いたことがない。足掛け12年も監督を務めながら、いったい何を教えていたのだろう。

人間的に成長しなければ、技術も伸びない


「人生80年」という言葉は、もはや使い古されたように聞こえるが、この言葉にあてはめて考えてみると、プロ野球選手でいられる期間はせいぜい10年から15年、長くても20年くらいだろう。

 最近は工藤公康や昨年、中日を引退した山本昌のように、40代後半になってもプレーしている選手が出てきてはいる。けれども、これは特異なケースと言ってもいい。
 だからこそ、現役時代に選手一人ひとりが心がけてほしいのが、人間的に成長しなければ、技術も伸びていかないということだ。

 プロ野球選手は、「野球をとったら何もない」という者も決して珍しくない。ほかならぬ私自身、「野村 ─ (引く)野球=ゼロ」と思っている。野球人である前に、一人の人間として、彼らが引退した後のことも踏まえて指導者は、組織論や人間学などをきちんと教育しなければならない。

 かつて西武の監督を務めた森祇昌に聞いたところによると、巨人監督時代の川上哲治さんは野球の話はほとんどせず、人としていかに生きるべきか、あるいは人の和の大切さ、礼儀やマナーといった人間学を中心に話していたそうだ。野球人である前に、一人の人間としてあるべき姿を説き、ONすら特別扱いは一切せず、叱るときは徹底的に叱ったそうだ。

「人生」という言葉には、さまざまな意味が込められている。
「人として生まれる」「人として生きる」「人を生かす」「人に生かされる」。
 それぞれの言葉の意味をかみしめ、大切にしていかなければ、充実した生き方などできないのではないだろうか。

 それに人間形成は仕事を通じてなされていくものであると、私はそう信じている。野球が仕事であるならば、野球を通じて人生を知り、人間的に成長してこそ技術的進歩も実現する。そのために指導者は、選手に対する人間教育が必要不可欠となるだろう。

(了)
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名将の条件
監督受難時代に必要な資質
野村 克也 著



野村 克也(のむらかつや)
1935年生まれ。京都府立峰山高校を卒業し、1954年にテスト生として南海ホークスに入団。現役27年間で、歴代2位の通算657本塁打、戦後初の三冠王など、その強打で数々の記録を打ち立て、不動の正捕手として南海の黄金時代を支えた。「ささやき戦術」や投手のクイックモーションの導入など、駆け引きに優れ工夫を欠かさない野球スタイルは、現在まで語り継がれる。70年の南海でのプレイングマネージャー就任以降、四球団で監督を歴任。他球団で挫折した選手を見事に立ち直らせる手腕は「野村再生工場」と呼ばれる。 ヤクルトでは「ID野球」で黄金期を築き、楽天では球団初のクライマックスシリーズ出場を果たすなど輝かしい功績を残した。インタビュー等でみせる独特の発言は「ボヤキ節」と呼ばれ、 その言葉は「ノムラ語録」として野球ファン以外にも親しまれている。