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2016年8月8日
世界から孤立する中国は、戦前の日本と同じ過ちを犯している
文・松本利秋(国際ジャーナリスト)
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日中戦争の裏側で中国に協力したドイツとアメリカ


 中国に利権を拡大しようとしていたアメリカは日本敵視政策を採っており、秘密裏に「フライイング・タイガー」と呼ばれる空軍部隊を置く空軍部隊を送り込んでいた。
 この部隊は米陸軍航空隊シェン・ノートを指揮官として創設され、構成員は米軍軍籍を一旦離れた軍人たちが民間人を装い、中国に渡り、米国製の戦闘機や爆撃機を使って日本軍に対抗していたのである。そればかりか、中国軍のマークを付けた爆撃機にアメリカ人が搭乗し、日本本土爆撃計画さえも本格的に検討されていたのだ。

 このような事態に対し、日本政府はドイツと手を結び、アメリカを牽制することで日中戦争を有利に処理しようとしていたのだ。ところが、中国に利権を拡大しようとしていたのはアメリカだけではなく、ドイツも強力に蒋介石を支援し、利権を拡大しようとしていたのである。
 実を言うと、実質的な敵対関係からすると日中戦争においてはアメリカよりも同盟国であるドイツの存在が大きかったのだ。

 第一次世界大戦終了後、ベルサイユ条約で再軍備が厳しく制限されていたドイツは、ソ連や南米で合弁会社を設立して軍需産業を発展させていた。一貫して資源の安定供給源を必要としていたドイツにとって中国は資源を輸入できるだけではなく、近代兵器を売りつけ、その近代兵器を使って戦術・戦略を組み立てる格好の国となっていた。
 日本軍と戦っていた中国は新兵器を実戦で実験できる戦場であり、兵器開発や軍組織の改良実験にはうってつけの条件が整っていたのだ。

 当時、ドイツからは軍事顧問団が中国に渡り、中国軍を徹底的なドイツ式の近代軍に仕立て挙げた。兵器はもとより、制服からヘルメット、分隊、小隊、中隊、大隊というように組織的行動が円滑にできるように編成し、行進や敬礼までドイツ式の軍隊になった。

 1932年1月に始まった第一次上海事変では、ドイツ軍事顧問団が指導した師団が参戦。その後、日本軍が熱河省に進出し、万里の長城付近で交戦した際には、ドイツ軍事顧問団長だったゲオルク・ヴェッツェル中将自ら中国軍を指揮している。

 ドイツ軍事顧問の日本軍相手の戦闘で嚆矢とされるのが、1933年にナチスが政権を取るのとほぼ同時に上海に派遣され元陸軍参謀総長ハンス・フォン・ゼークトである。ヒトラーは挙国一致で戦争経済推進を政策に掲げ、軍需資源の確保、とりわけ中国で産出されるタングステンとアンチモンを重視したため、ドイツの対中国政策はより一層促進された。
 ゼークトはこれらの事情を背景に、経済・軍事に関して蒋介石の上級顧問となったのである。

 ゼークトは蒋介石にドイツ製の対戦車砲、モーゼル製の銃器、1号戦車などの装甲車両、さらにはヘンシェルHs123やユンカース、ハインケル、フォッケウルフなどの航空機をドイツから購入させ、航空機の一部は中国国内で組み立てている。これらの近代化は直後に起きた日中戦争で効果を発揮した。

国際情勢が読めずドイツ軍が支援した中国軍と戦った日本軍


 中でも有名なのが、「ゼークト・ライン」と呼ばれる2万以上のトーチカ、数線にわたる鉄条網や塹壕で構成された要塞地帯である。このトーチカの跡は今でも上海付近で見ることができる程堅固なものであった。

 蒋介石はゼークトの指揮監督によって、この陣地線を日本海軍の海軍上海特別陸戦隊本部を取り巻くように構築した。陣地完成後の1937年8月、中国軍が陸戦隊本部に猛攻撃を開始した。

 上海戦では日本軍30万と国民党政府軍(蒋介石軍)75万とが衝突する、日本にとっては日露戦争の奉天開戦以来の大戦闘であった。その結果、日本軍は2万の戦死者を出し、蒋介石軍は後の台湾政府発表では25万となっている。戦死者だけを見れば、日本軍の圧勝となるが、問題は当時の陸軍の無能ぶりである。

 蒋介石は前述のようにドイツ軍事顧問団の下で軍の近代化を図り、攻撃側は常に失敗して、防御側は常に有利という第一次世界大戦の戦訓も学んでいた。この用意周到な蒋介石の戦闘計画について陸軍は全く予想できなかったばかりでなく、ゼークト・ラインの存在さえも掴んでいなかったのである。

 最新兵器はどのようにして開発され、それを製造するための新しい資源獲得のためにはどういう外交政策と情報収集が必要であるかなどの総合的な判断をする発想もなく、ガラパゴス化した戦争運用しかできなくなっていた。

 日本の陸軍は中国大陸の戦闘での敵は蒋介石だけではない、つまりヒトラーも巧みに中国を利用しつつ、日本との敵対関係を自己の利益に転換させる重要なプレイヤーであったことに気づかず、三国同盟の熱心な推進者となっていたのである。

 実質的には敵対関係にあっても、そのことには気づかず、三国同盟という名の下にドイツに誠意を見せ続けた日本の指導者と、この状況を巧みに利用して徹底的に国益を追求して行ったドイツとの間には抜き差しならない発想の違いがあった。

 これは欧米型発想と日本型発想の間に横たわる世界情勢についての見方や戦いにおける心構えの違いであろう。



なぜ日本は同じ過ちを繰り返すのか
太平洋戦争に学ぶ失敗の本質
松本 利秋 著



松本 利秋(まつもと としあき)
1947年高知県安芸郡生まれ。1971年明治大学政治経済学部政治学科卒業。国士舘大学大学院政治学研究科修士課程修了。政治学修士。国士舘大学政経学部政治学科講師。ジャーナリストとしてアメリカ、アフガニスタン、パキスタン、エジプト、カンボジア、ラオス、北方領土などの紛争地帯を取材。TV、新聞、雑誌のコメンテイター、各種企業、省庁などで講演。著書に『戦争民営化』(祥伝社)、『国際テロファイル』(かや書房)、『「極東危機」の最前線』(廣済堂出版)、『軍事同盟・日米安保条約』(クレスト社)、『熱風アジア戦機の最前線』(司書房)、『「逆さ地図」で読み解く世界情勢の本質』『日本人だけが知らない「終戦」の真実』(小社刊)など多数。
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