スキルアップ
2017年6月12日
余計なモノを持たずに「ためない」ブッダの知恵
文・アルボムッレ・スマナサーラ
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捨てるべきは、モノではなく、執着心


 せっかく心を清らかにしようと決意して、全財産を捨てて森に入ったのに、なぜ修行者は、修行を続けることができなくなってしまったのでしょうか。何を間違えてしまったのでしょうか。

 じつをいえば、この修行者はいちばん肝心なものを捨てなかったので、失敗してしまったのです。
 それは何でしょうか。

 この物語をよく読めばわかると思いますが、修行者は正確にいうと「全財産」を捨てたわけではありません。たったひとつだけ、腰に巻く1枚の布というモノは捨てませんでした。

 でも、布1枚を捨てなかったから、失敗したというわけではないのです。

 修行者が還俗して元の苦しい世界に戻ってしまったのは、布1枚に対する"執着"を捨てなかったからなのです。「この布きれ1枚がなくなったら、たいへんだ。この布を守らなきゃ」という思いが、言い換えれば、ためこもうとする気持ちが、失敗の原因だったのです。

 この修行者は、本当に正直な気持ちで修行に励みたいと思って、「ためる」生き方におさらばし、家や財産も捨てて山に入りました。その心は決してインチキではありません。でも問題は、モノは捨てたけど、執着は捨てなかったということなのです。捨てるべきものは捨てずに、捨てても捨てなくてもどうでもいいものを捨てていたのです。これが、この物語の言いたいことであり、お釈迦さまの教えでもあるのです。

無責任にモノを捨てても幸せにはなれない


 心を清らかにしたいというのであれば、森に入らず、村や町の家の中ででもできたはずなのです。都会に暮らしていても、執着を捨てれば、心を清らかにする生活ができたはずなのです。ところが、この修行者は、自分の心が汚れるのは、執着という心ではなく、モノのせいだと勘違いしてしまったのですね。だから、結局、布1枚をきっかけに、元の生活に戻る羽目に陥ってしまったのです。

 余計なモノを持たずに「ためこみ」をしないという生き方は、俗世間では人間の理想となっているかもしれません。でも、ただ無責任にモノを捨てるということは、決して執着を捨てることにはなりません。それはかえって怒りや後悔、嫉妬などの悪感情をもたらすことにもつながってしまいかねないのです。

 最終的にはモノではなく、モノに対する執着そのものを捨てなければ、聖なる道を歩むことはできず、幸福に生きる技を身につけることができない──これがブッダの智慧なのです。

(了)
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ためない生き方
アルボムッレ・スマナサーラ 著



アルボムッレ・スマナサーラ
スリランカ上座仏教(テーラワーダ仏教)長老。1945年4月、スリランカ生まれ。スリランカ仏教界長老。13歳で出家得度。国立ケラニヤ大学で仏教哲学の教鞭をとる。1980年に来日。駒澤大学大学院博士課程を経て、現在は日本テーラワーダ仏教協会で初期仏教の伝道と瞑想指導に従事しながら、メディア出演や全国での講演活動を続けている。シリーズ累計40万部超の『怒らないこと』(サンガ新書)をはじめ、100冊近い著書がある。