カルチャー
2017年8月29日
大切な人の「死」・自分の「死」との向き合い方
文・鈴木 秀子(聖心会シスター)
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人の死は、大きなショックとなります。たとえ、ずっと大病を患っていて、余命いくばくもないことがわかっていたとしても、死は突然におとずれます。その時に、死を迎える人を安らかに送り出すには、どのように振る舞えばよいのでしょうか? 自分が死に直面したとき、どのように受け止めたらよいのでしょうか? ここでは、死に直面した人たちや、その周辺の人たちから、多数の相談を受けてきたカトリックのシスター・鈴木秀子さんに、死との向き合い方をお聞きしました。


死を見届ける時は、特別なことなんて必要ない


 死にゆく人を見送る時、何か特別なことをしないといけないと思いませんか? しかしそれは、お互いにとってあまり有益なことはありません。

 昔の楽しかった時のことを思い出して、お互いで共有するのがベストです。

「最近はいろいろと揉めたけど、その前は仲良かったのにね」とか「昔は一緒によく○○をして遊んだよね」。

 これくらいの会話で十分です。また、当時の写真を見せるのもいいでしょう。心にわだかまりがあって素直になれない時こそ実行したいものです。

 こうすることで、楽しく幸せな気分に満ちた最高の時間が過ごせます。そしてお互いが安らかで笑顔になったまま、死を見届けることができます。

 楽しい思い出や写真がすぐに見つからなくても、心配は要りません。

 ちょっとしたことでも構いませんので、嬉しかったことに感謝するのもお勧めです。例えば母親が死を迎えていたら、「受験勉強の時に、おにぎりを作ってくれたけど、美味しかったし元気が出たよ。ありがとう」と。

 口癖を知っておくのも役立ちます。何度も口にする口癖は、その人が言いたいことであるからです。「しっかり勉強しないと、いい大人になれないぞ」が口癖だとしたら、「これから勉強するから、安心してね!」と伝えれば喜んでくれます。

 もっと簡単なのは、こちらから無理に話そうとしないことです。話したいことは、相手から言ってくれるので、あまり口を挟まずに聞いてあげることも大切です。

「喜びそうなものを用意しないと」と気負う必要もない


 お見舞いの場合は「手土産がないと」と思う方も多いようです。ただ、今までお伝えしました通り、言葉を交わすだけで十分です。

 とはいえ「手ぶらだと、どうも落ち着かない...」という方には「立派な菓子折りよりも、小さなお菓子1個でいいですよ」とお伝えしています。2人で半分こにして食べながら「美味しいねえ」と言い合うくらいの他愛のない会話でも、至福の時間が過ごせますから。

 何かを渡すということですと、金銭的な援助や、ほしがっていそうなものを渡すことが十分にできなかったと悔やむこともあるかもしれません。

 ただ、あの世に持って行けるのは「思い出」だけです。お金も贅沢な品も、持って行けません。繰り返しになりますが、素敵な思い出をたくさん振り返ってもらうのが最高のプレゼントとなります。



死は人生で最も大切なことを教えてくれる
鈴木 秀子 著



鈴木 秀子(すずき・ひでこ)
聖心会シスター/文学博士。東京大学大学院人文科学研究科博士課程修了。文学博士。 フランス、イタリアに留学。スタンフォード大学で教鞭をとる。聖心女子大学教授(日本近代文学)を経て、国際コミュニオン学会名誉会長。聖心女子大学キリスト教文化研究所研究員・聖心会会員。長年にわたり、全国および海外で講演活動を行い、多くの相談を受けてきた。特に、死が近づく人やその関係者からの相談が非常に多い。世界中の病院をめぐり、東日本大震災の被災地巡りを頻繁に行っていることや、自身が臨死体験をしたことが関係している。著書に44万部突破の『9つの性格 エニアグラムで見つかる「本当の自分」と最良の人間関係』(PHP研究所)のほか、『死は人生で最も大切なことを教えてくれる』(SBクリエイティブ)、『死にゆく者からの言葉』(文藝春秋)などがある。
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