カルチャー
2017年12月14日
サイバー戦でも注目される「機動の理論」とは何か?
文・木元 寛明
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J.F.C.フラーは近代機動戦理論の「生みの親」


 ナポレオンの欧州制覇からおよそ100年後、第1次大戦(1914~18年)の西部戦線は長期塹壕(ざんごう)戦となり、ドイツ軍も連合軍も決定打がなく、戦線は膠着(こうちゃく)していました。当時、すでに内燃機関の発明により自動車や飛行機が登場していたが、軍隊は相も変わらず馬と兵士の足に依存していました。

 このようなとき、英戦車軍団参謀長J.F.C.フラー中佐が、近代的「機動戦の理論」の原点となった「Plan 1919」(原題は「決定的攻撃目標としての戦略的麻痺化」)を提唱したのです。

 すなわち、約5,000輌の戦車(当時はタンクと呼称)を集中運用して、ドイツ軍の各級司令部を打撃して指揮機能を麻痺させ、一気に戦争終結を図るという気宇壮大(きうそうだい)かつロマンチックな大風呂敷(おおぶろしき)であり、青写真でした。

 「Plan 1919」は連合軍最高司令官の決裁を得て実現に向けてスタートしましたが、1918年11月に大戦が終わり、計画はボツとなり、「Plan 1919」は幻の計画となりました。

 フラー中佐は、大戦後、軍隊の機械化と戦車を中核とする機甲部隊の創設を熱心に提唱し続けますが、歩兵、騎兵など守旧派・伝統墨守派の高級将校は聞く耳を持たず、結果的にフラーを英陸軍から追放したのです。

 フラー少将は、1932年、機甲戦理論の集大成として『講義録・野外要務令第Ⅲ部』を一般書籍として出版します。フラー自身が「完璧なマニュアル」と語っているように、本書は近代的機動戦の教科書であり理論書です。

 英国、米国ではほとんど顧みられなかったのですが、ドイツのグデーリアン将軍が愛読して、第2次大戦で電撃戦(1940年)として花開きます。ソ連では、トハチェススキー将軍が10万部コピーして全軍に配布し、後に1936年版『赤軍野外教令』として結実します。

イスラエル軍、米陸軍、米海兵隊が発展させた


 第2次大戦後、フラーの「Plan 1919」の理念は、イスラエル国防軍の機動戦理論、米陸軍のエアランドバトル・ドクトリン、冒頭で紹介した米海兵隊のウォーファイティング・ドクトリンなどへと進化して継承され、今日なお光彩を失ってはいません。

 21世紀に入ってサイバー空間が「第5の戦場」となり、決定的攻撃目標としての指揮中枢の戦略的麻痺化が文字通り可能となり、あらためて「Plan 1919」が注目されています。

 時代が変化する潮目には思想家が登場します。馬と足の軍隊から機械化軍隊へと脱皮しようという時代に、J.F.C.フラーが「機動の理論」を掲げて登場しましたが、彼も、歴代アウトサイダーの例にもれず、本国の英陸軍から実質的に放逐され、逆に第1次大戦の敗者だったドイツ軍から高い評価を受けました。今日、欧米ではフラーの再評価が進んでいるようですが、わが国では残念ながらそうではありません。

 今般、「フラー」を「縦軸」に、形而上下の「機動という概念」を「横軸」にして、サイエンス・アイ新書から『機動の理論』として上梓した次第です。

(了)
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機動の理論
勝ち目をとことん追求する柔軟な思考
木元 寛明 著



木元寛明(きもと ひろあき)
1945年、広島県生まれ。1968年、防衛大学校(12期)卒業後、陸上自衛隊入隊。以降、第2戦車大隊長、第71戦車連隊長、富士学校機甲科部副部長、幹部学校主任研究開発官などを歴任して2000年に退官(陸将補)。退官後はセコム株式会社研修部で勤務。2008年以降は軍事史研究に専念。主な著書は『戦術の本質』『戦車の戦う技術』(サイエンス・アイ新書)、『自衛官が教える「戦国・幕末合戦」の正しい見方』(双葉社)、『戦術学入門』『指揮官の顔』『ある防衛大学校生の青春』『戦車隊長』『陸自教範「野外令」が教える戦場の方程式』『本当の戦車の戦い方』(光人社)。