特集
2018年1月11日
佐藤優が、人気コミック『キングダム』から盗んだ"処世術"とは?
「武器を磨け 弱者の戦略教科書『キングダム』」より
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失敗の本質に学べ


 日本の組織が逃げることが上手ではない理由は『失敗の本質─日本軍の組織論的研究』(中央公論社)などを読むとよくわかる。

 太平洋戦争において、どうして戦力は逐次投入で消耗戦を行って大敗を喫したのか。陸軍の組織内では逐次投入で組織を維持するコストと全面退却を説得するコストを考えて、前者のほうが楽だったためにそうなったのである。もう誰が見てもダメだ、という臨界点に達すれば全面退却をしても文句をいわれないが、それまでは消耗戦で先送りする日本の組織文化は今もあまり変わっていない。

 唯一といっていいぐらい例外的に全面退却を行ったのが「キスカ島撤退作戦」で有名な樋口季一郎司令官である。1943年5月アメリカ軍のアッツ島上陸でアッツ島は陥落し、キスカ島の日本軍守備隊は補給路も断たれて完全に孤立。アッツ島とアメリカ軍飛行場のあったアムチトカ島に挟まれたキスカ島の制海権・制空権は失われ、まさに孤立無援となった。

 その状況で樋口司令官は独断で全面撤退を決める。あらゆる武器の海中投棄を指示して、撤退にかかる時間を最小限にしたうえで連合軍に気づかれることなく無血での全面撤退に成功したのである。

 樋口司令官も「逃げた」わけではない。部下の将兵がそのまま島にとどまっても待っているのは死か降伏。それよりは北海道に退却して残存兵力を有効活用したほうがいいと考えた上でのことだ。こうした洞察に基づいた合理的決断ができるリーダーが日本には少ない。

 これは戦場に限らず、ビジネスの場においてもいえることだ。ビジネスの世界でうまく生き残れる人は、どこかで合理的な退却という決断をしている。

 企業のM&Aを見ていてもわかる。JTは、缶コーヒー「ルーツ」や清涼飲料の「桃の天然水」ブランドを持っていた飲料事業から撤退し他社に売却したが、決して飲料事業で利益が出ていなかったわけではない。

 利益は出ていても競争の激しい飲料分野では天井が見えていた。そこで今後さらに成長が見込める食品・医薬品事業に経営資源を集中させるという戦略を立てて、あえて飲料事業から撤退したのである。

 意思決定、決断の力を高めるにはこうした「失敗と成功」のケースから学ぶことは非常に多い。

勝負は「終わり方」で決まる


 生き残った者にはチャンスが必ず巡ってくる。『キングダム』で、ついに廉頗が敵将として現れたことに秦軍の総大将である蒙驁(もうごう)が人知れず動揺するシーンもまさにそうだ。宿敵をやっつけるチャンスなのに、なぜ蒙驁は動揺したのか。若い頃から廉頗に一度も勝ったことがなかったからだ。

 こうしたことは私たちの仕事の上でも必ず訪れる。何度アタックしても契約が取れず諦めていた顧客から、新たな引き合いがきたりする。ただ、顧客側の担当者がどうしても苦手な相手だったときに「無理かもな」と弱気になりがち。そこをどうするかが大事だ。

 蒙驁も大きなプレッシャーを感じ、武装を脱ぎ老人歩兵に化けて陣営内を徘徊する。頭を空っぽにするために原っぱで寝転んでいるところに、夜食を捕りに来て野うさぎを捕まえた信がうっかり草むらの蒙驁を踏んでしまう。

 信は老兵が蒙驁だとは知らず「じーさんにも悩みなんてあるのか。三百将が聞いてやる」と会話を始める。蒙驁は、若い頃にケンカで一度も勝てなかった相手とじじィになった今、もう一度ケンカをすることになった。しかも、その相手は老いるどころか絶頂期の強さだと打ち明ける。

 「深刻じゃろ」と老兵の蒙驁は言う。しかし、話を聞いてしばし考えていた信は「悩む意味が全っ然わからん」と言い放つ。「全敗喫してる化け物じじィともう一回じーさんが戦る話だろ。やっぱりやったじゃねェか」と。  困惑する蒙驁に信はさらに言う。「だってそれはこの期に及んでじーさんに一発逆転 0000の好機が生まれたって話だろ!」。老兵の蒙驁は何かに気づく。「ケンカってのは最後に立ってた奴の勝ちだ。次勝って勝ち逃げしてやれよ。そうすりゃじーさんの総勝ちだ!」

 信の勢いに蒙驁は笑い出し、その通りだと立ちあがるのである。これまでどうだったかが問題なのではない。生き延びて最後に勝って笑うことが大事だ、という人生の本質を信はその純粋さで言い当てているのだ。

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武器を磨け
弱者の戦略教科書『キングダム』
佐藤 優 著/原 泰久 原作



佐藤 優(さとう まさる)
作家、元外務省主任分析官。1960年、東京都生まれ。1985年に同志社大学大学院神学研究科修了後、外務省入省。在英国日本国大使館、在ロシ ア連邦日本国大使館に勤務した後、本省国際情報局分析第一課において、主任分析官として対ロシア外交の最前線で活躍。2002年、背任と偽計業務妨害容疑で東京地検特捜部に逮捕され、2005年に執行猶予付き有罪判決を受ける。2009年に最高裁で有罪が確定し、外務省を失職。2005年に発表した『国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて』で第59回毎日出版文化賞特別賞受賞。2006年に『自壊する帝国』で第5回新潮ドキュメント賞、第38回大宅壮一
ノンフィクション賞受賞。『獄中記』『交渉術』『外務省に告ぐ』『国家の「罪と罰」』など著書多数。

原泰久(はら やすひさ)
佐賀県出身。2003年、第23回MANGAグランプリにて読切『覇と仙』が奨励賞受賞。2006年、週刊「ヤングジャンプ」9号から『キングダム』を連載開始。2012年にはNHKでTVアニメ化、2013年には第17回手塚治虫文化賞マンガ大賞を受賞した。デビュー前の職業はシステムエンジニア。