カルチャー
2016年9月20日
いったいなぜ、日本には戦車が必要なのか? そこには4つのワケがある
文・木元 寛明
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「戦車」の存在を知らない人は、ほとんどいないと思います。日本の陸上自衛隊にも、最新鋭の戦車が次々と装備されています。それは、なぜか? 北海道の機甲科部隊・第71戦車連隊の連隊長までつとめ、『戦車の戦う技術』を著した、木元寛明氏(元・陸将補)さんに、その理由を語っていただきました。


日本が外国の軍隊から侵攻される可能性はあるのか?


 昭和43(1968)年10月、私は富士駐屯地の戦車教導隊に配属されました。23歳の見習幹部でした。これが私と戦車との付き合いのはじまりです。

 私は同年3月に防衛大学校を卒業、福岡県久留米市の陸上自衛隊幹部候補生学校で半年間の教育を受け、卒業直前に「機甲科」職種に指定され、母隊となった戦車教導隊に赴任しました。

 以来、富士学校機甲科部で戦車小隊長、戦車中隊長の教育を受け、部隊・陸幕などの勤務を経て、第2 戦車大隊長(第2 師団)、第71 戦車連隊長(第7 師団)の指揮官職に就きました。この間タッチした戦車は、米軍供与のM4A3E8戦車、国産の61式、74式、90式戦車でした。10式戦車を除く陸上自衛隊のほとんどの戦車と行動を共にしたことになります。

 最近では、軍事史研究に専念し、講演活動なども行っているのですが、次のような質問をよく受けます。

―――「日本の国土が外国の軍隊から直接侵攻される可能性はありますか?」

「いや、見通せる将来では、本土への直接侵攻はないと思います。ただし、現下の情勢では離島への侵攻は否定できません」

―――「ということは、離島を除く日本の本土で、外国の軍隊と地上戦を交えることはない、ということですネ」

「はい、そのとおりです。わが国の本土での地上戦の可能性はきわめて低い、と私は思います」

―――「では、本土で地上戦がないにもかかわらず、陸上自衛隊が最新鋭の戦車――たとえば90式戦車、10式戦車、あるいは機動戦闘車を装備するのは、いったいどういう理由なのですか?」

 以下はこの質問に対する私の回答です。

第1の理由「日本の土地と国民の保全に通じるから」


 第1は、陸上戦力の本質は土地と人間を支配することです。精強で健全な陸上戦力が存在することにより、日本の国土、国民、財産、資源などを保全することができるのです。

 太平洋戦争敗戦後に日本全土が連合国軍に占領されました。日本は、連合国軍の陸上戦力の支配下に置かれて、独立を完全に失いました。

 わが国は、1945年9月2日、戦艦ミズーリ艦上で降伏文書に調印、1951年9月6日、サンフランシスコ講和条約に調印して独立を回復、この間、連合国軍の占領下にあり、日本の国土・国民は連合国軍総司令部=GHQに100%支配されました。

 敗戦時のわが国は、米軍の戦略爆撃と空襲により焦土と化していましたが、米軍は陸軍・海兵隊の戦闘部隊(陸上戦力)を上陸させ、日本の津々浦々まで完全に支配したのです。

 このことは「最終的な勝利の決め手は、陸上戦力による国土・国民の支配にある」ことを如実に示しています。平和時における陸上戦力が目立つ必要はありませんが「無言の鎮め(サイレント・プレッシャー)」として厳然として存在することが役割なのです。



戦車の戦う技術
マッハ5の徹甲弾が飛び交う戦場で生き残る
木元 寛明 著



木元 寛明(きもと ひろあき)
1945年、広島県生まれ。1968年、防衛大学校(12期)卒業後陸上自衛隊入隊。以降、第2戦車大隊長、第71戦車連隊長、富士学校機甲科部副部長、幹部学校主任研究開発官などを歴任して2000年に退官(陸将補)。退官後はセコム株式会社研修部で勤務。2008年以降は軍事史研究に専念。主な著書は『自衛官が教える「戦国・幕末合戦」の正しい見方』(双葉社)、『戦術学入門』『指揮官の顔』『ある防衛大学校生の青春』『戦車隊長』『陸自教範『野外令』が教える戦場の方程式』『本当の戦車の戦い方』(光人社)。
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