スキルアップ
2017年6月12日
余計なモノを持たずに「ためない」ブッダの知恵
文・アルボムッレ・スマナサーラ
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腰に巻いた布1枚が原因で、結局還俗する羽目に


 ところが、ここでまたひとつ問題が起きます。

 それは猫の餌です。修行者自身は果物や山の実などを日頃食べていますが、猫はそんなものは口にしません。かといって、好物の肉をあげるわけにはいきません。修行者は、出家している身ですので、狩りをするわけにはいかないのです。

 そんなわけで、猫は自分でエサを探さなければいけないのですが、でも、森の中にはなかなかいいエサが見つかりません。
 かといって、猫を村に帰してしまったら、またネズミが寄って来てしまいます。

 そこで仕方なく修行者は、村に行って猫のエサをもらって来ることにしました。いったん山を降りて村に入り、托鉢(たくはつ)をしてまわったのです。そうして村人から牛乳をもらうと、森に戻り、猫にあげました。

 ところが、また問題が起こりました。

 猫のエサのために村に出かけていると、それで1日が終わってしまうのです。そして、それを続けていると、肝心の修行のための時間がどんどんなくなってしまうのです。
 そこで今度はこう考えました。

「牛を1頭もらって、森の中に連れてくればいいじゃないか。そうすれば、猫のエサのためにいちいち山を降りる手間が省けるのだから」

 そうして牛1頭を実際にもらってきて、森で牛を飼い、エサを食べさせ、乳をしぼって、猫にあげました。
 ところが、猫にエサをあげるのが簡単になった代わりに、今度は牛の世話をしなくてはならなくなり、また修行の時間がなくなってしまいました。

 そこで、修行者は村から男の子をひとり連れて来て、その子に牛の面倒を見させました。

 ところが、しばらくすると、その子はずっと森の中にいることに飽きてしまい、あちこちに遊びにいったり、帰ってこなかったりするようになってしまいました。

 そこで修行者は、今度は「この子はもう青年でもあるし、奥さんでもいれば遊びに行かずにおとなしくなるだろう」と考え、村に行って若い女性を見つけ、青年のお嫁さんとして森の中に連れてきました。

 こういうわけで、結局、修行者は、いろんな動物や人の面倒をみなくてはならなくなってしまったのです。

 やがて修行者は「こんなことを続けていたらキリがない。普通に仕事をしてみんなを養おう」と言って、山を降りてしまいました。

 すべてを捨てて修行に専念するつもりで森に入ったはずなのに、元通りの生活に戻ってしまったのです。出家したつもりが、結局、還俗(げんぞく)することになってしまったのです。



ためない生き方
アルボムッレ・スマナサーラ 著



アルボムッレ・スマナサーラ
スリランカ上座仏教(テーラワーダ仏教)長老。1945年4月、スリランカ生まれ。スリランカ仏教界長老。13歳で出家得度。国立ケラニヤ大学で仏教哲学の教鞭をとる。1980年に来日。駒澤大学大学院博士課程を経て、現在は日本テーラワーダ仏教協会で初期仏教の伝道と瞑想指導に従事しながら、メディア出演や全国での講演活動を続けている。シリーズ累計40万部超の『怒らないこと』(サンガ新書)をはじめ、100冊近い著書がある。
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