カルチャー
2018年4月5日
人気作家が教える!──ネット情報は誰か浴びせているのではない。あなたがシャワーのコックを捻った結果である。
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情報のシャワーにいかに接するか


 さて、そんな情報のシャワー室の中で、しなければならないものに集中するにはどうしたら良いだろうか。答は簡単だ。

 二つ方法がある。情報を浴びながらも、それを気にしないか、それとも、どうしても気になるのならシャワーのコックを締めるかだ。このいずれかで解決する。身も蓋もない答だが、これが正論だろう。

 もう一点、注意すべきことがある。インターネットはそもそも無料で情報が得られるツールだった。メールも無料で世界中に送れる。各種のサービスが無料で提供され、あっという間に大勢がこれを使うようになった。ところが、気づいてみれば、無料サイトには必ずコマーシャルが表示され、YouTubeなどで動画を見たいと思っても、最初に宣伝を見なければならなくなった。無料とはいえ時間を取られている。タイム・イズ・マネーというが、はっきり言って、時間の方が金よりも価値が高い。つまり、もはや無料ではなくなっていると認識すべきだろう。

 ニュースも、無料のものの大部分は宣伝になった。そうは見えない報道でさえ、マスコミが意識的に伝えたい方向へ表現が歪められているから、そういったものまで含めれば、ニュースの大部分が宣伝だと認識しても間違いではない。ここでも、真の報道は雑情報で薄められ、結果的にかつてよりもむしろ手に入りにくくなっていると考えるべきだろう。

 というわけで、過剰な情報が押し寄せているといっても、それらの多くは、ゴミのような雑音であり、しかも、無料だからもらっておこうと許容しているために降りかかってくるにすぎない。そこを自覚する必要がある。自分で選んでいる環境だということ。だから、まずそう自覚するだけで、情報に対して今よりも冷静に接することができるはずである。

SNSは一切やらない


 僕自身のことを書こう。作家になった二十二年まえに、既に仕事の連絡はすべてメールを使っていた。電話もファックスも使わない(大学に勤務していたため、内線電話は利用)。ところが、作家としてデビューしたとき、出版社の人たちはメールアドレスがなかった。インターネットでHPを持っているところは限られていて、個人ではよほど趣味的な人しかやっていなかった。なにしろ、まず自宅にパソコンが必要だし、電話機にモデムを付けてアクセスしなければならなかったからだ(当然、光ファイバなどというものは普及していない)。

 その後、インターネットは順調に発展し、しだいに一般大衆が参加するようになる。ブログというシステムが作られ、htmlで記述しなくても個人のホームページが作れ、個人的な発信が手軽になった。おそらく、この頃が、インターネットの「質」のピークだっただろう。今世紀の初頭の話である。その後、もっと大勢をここに集めたいという企業的な力が働き、「いいね」のようにただクリックして反応するだけで「参加」気分が味わえ、「つながっている」感が得られるようになった。SNSが登場し、TwitterやLINEも普及することになる。便利になっているように見えるのだが、単に、一本の指で反応しやすくなっただけのことで、新しい機能が加わったということでもない。メールとウェブサイトのブラウジングから、ほとんど進歩がないといえる。

 これらの「反応の連鎖」だけが積み重なって、情報は爆発的に増加した。検索エンジンも、(AIで改善されているらしいが)目当ての情報を見つけにくくなっている。はっきりいって、不便になっていると感じる。そう感じ始めたのが十年ほどまえのことだった。

 僕は、SNSは、大衆の感情的な情報ばかりを集めるだろう、と考えたので、そこから離れることにした。したがって、十年ほどまえの萌芽期に一部を齧ってみただけで、その後、TwitterもLINEもFacebookも一切やらないことに決めた。iPhoneが日本で発売になったとき、まっさきに購入して、今は四台めであるが、最近はスマホを持ち歩かないし、一週間に一度くらいしかモニタを見ていない。主に、模型関係の制御アプリを使う程度だし、電話もメッセージも家族との連絡に使っているだけだ。手放さないのは、災害などがあったときの備えのためである。

 さらに、そのまえの二十年ほど、つまり、大学生になってから、就職と結婚をし、研究者として働きつつ、途中でバイトのつもりで小説を書き始めた頃までだが、僕はTVを一切見なかったし、新聞も読まなかった。僕の研究にも、僕の趣味にも、それらは関係がなかったからだ。情報は足りているし、また面白い話題も特に不足していなかった。重大なニュースがあれば、周囲の誰かが教えてくれるし、ネットが普及してからは、そちらで確かめれば良かった。

 何故、TVや新聞を見なかったのかといえば、自分の時間が大事だったからだ。そういったものに時間を取られることが惜しかった。これは、小説を書き始めてもしばらく続いた。大学を辞め、小説の仕事量も意図的に減らして、暇な人間になった十年ほどまえから、世間の話題をときどきネットで眺めている。有用な情報が得られると思って見ているのではない。単なる暇潰しだ。

(了)


集中力はいらない
森 博嗣



森 博嗣(もり・ひろし)
1957年愛知県生まれ。
小説家。工学博士。
某国立大学の工学部助教授の傍ら1996年、『すべてがFになる』(講談社文庫)で第1回メフィスト賞を受賞し、衝撃デビュー。以後、犀川助教授・西之園萌絵のS&Mシリーズや瀬在丸紅子たちのVシリーズ、『φ(ファイ)は壊れたね』から始まるGシリーズ、『イナイ×イナイ』からのXシリーズがある。ほかに『女王の百年密室』(幻冬舎文庫・新潮文庫)、映画化されて話題になった『スカイ・クロラ』(中公文庫)、『トーマの心臓 Lost heart for Thoma』(メディアファクトリー)などの小説のほか、『森博嗣のミステリィ工作室』(講談社文庫)、『森博嗣の半熟セミナ博士、質問があります!』(講談社)などのエッセィ、ささきすばる氏との絵本『悪戯王子と猫の物語』(講談社文庫)、庭園鉄道敷設レポート『ミニチュア庭園鉄道』1~3(中公新書ラクレ)『「やりがいのある仕事」という幻想』、『夢の叶え方を知っていますか?』 (朝日新書)、『孤独の価値』 (幻冬舎)、『人間はいろいろな問題についてどう考えていけば良いのか』 (新潮社) など新書の著作も多数ある。
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