カルチャー
2014年7月24日
なぜ「大砲は戦場の神」といわれるのか?
文・かのよしのり
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 「大砲は戦場の神である」という言葉があります。陸上戦闘においては「砲兵火力の優劣が、勝敗を決する決定的要素」ということです。ところが自衛隊は大砲をどんどん削減しています。戦車も削減されています。

 大砲や戦車を削減してよい理由などなにもないのですが、GDP(国内総生産)の1%にも満たない防衛費のなかでイージス艦を買い、パトリオットミサイルを買い、F-35を導入するということになると、なにかを切り捨てねばなりません。そこで「日本は島だから、まず海空の守りを最優先にしなければならない」というわけで、砲兵部隊(自衛隊では特科部隊といいます)や戦車部隊が削減されているのです。

 ところがいま、沖縄方面には1門の大砲も1両の戦車も配備されていません。懸案の島嶼(しょ)防衛において、大砲も戦車も不可欠な存在なのですが。

軍艦はうかつに砲兵隊が守る島に近づけない


 第二次大戦における南の島の戦いでは、圧倒的な米軍の火力の前に、島を守る日本軍は壊滅的打撃を受けました。それはなんといっても大砲の火力の差に原因があります。当時、陸軍の大砲は馬で牽(ひ)くことを前提に設計されていたため口径75mmのものが主力で、それを支援するために少数の105mmや155mmの大砲が装備されていました。

 それに対して海から攻める米軍は、戦艦や重巡洋艦の大砲を使うことができました。戦艦の主砲ならば口径40cm、弾1発の重量が1トン、射程は30kmを超え、守る側の陸軍の大砲の射程外から、どんな堅固な陣地でも破壊できるような巨弾を送り込めたわけです。

 ですが、現代ではそのあたりの事情が異なります。大きな大砲を乗せた戦艦や重巡洋艦は、現代の海軍に存在しません。日本の「あたご」型でもアメリカの「アーレイバーク」型でも、イージス艦に搭載されている大砲は127mmですが、それが欧米の軍艦に搭載されている最大の艦砲です。ロシアにはもう3mm大きな130mm砲というのもありますが一部の大型艦にかぎられ、ロシアやヨーロッパでは100mm砲が主流です。「チャイナ・イージス」と呼ばれる中国の「蘭州」型も100mm砲搭載です。

陸上自衛隊の99式自走155mm榴弾砲。155mm砲弾に耐えるには厚さ約2mの掩蓋(えんがい)が必要 ※クリックすると拡大

 それに対し、いまや陸軍の野戦砲の主力は155mm砲が普通です。それを支援する重砲は203mmです。第二次大戦のころとは陸と海の火力が逆転しているのです。さらに海上にある軍艦は遠くからでもよく見えますが(つまり狙いやすい)、陸軍の大砲というのはどこにいるのか見付けることからして困難です。ですから、現代では陸軍の砲兵隊が守っている島に対して、軍艦はうかつに近付けないのです。


軍艦の対艦(対地)ミサイルでは砲兵隊を倒せない


 軍艦には対艦ミサイルが装備されています。これは射程が100km前後もあり大砲よりも長射程なのですが、対艦ミサイルというものは水面の上でレーダーを反射したり、エンジンの排気熱をだしたりするものに向かって飛んでいく兵器であって、陸上目標を撃てるようにはできていません。もちろん一部の対艦ミサイルには、示されたGPS座標に向かって飛んでいく陸上目標攻撃機能をもつものもありますし、その機能がないミサイルでもそれができるように改良することは難しいことではないでしょう。

 ですが、そのようなミサイルが撃てるのは、位置がわかっている目標だけです。島のどこにいるかわからない大砲は狙えません。人工衛星から地上の写真を撮れる時代とはいえ、草をかぶって隠れている大砲を見つけるのは容易ではなく、偽物をたくさん配置して、敵の偵察の目を欺くことも行われます。

 こうなると1隻の軍艦に6発とか8発しか乗せていない貴重な対艦ミサイルを撃ち尽くしても、どれだけの戦果を上げられるのか疑わしいものです。海軍の軍人としては敵の水上艦艇が出現する可能性がある以上、対艦ミサイルを浪費することはためらうでしょう。

 野戦砲は、敵が占領している島を奪還するための上陸作戦でも重要な役目を果たします。第二次大戦のサイパンでの戦例ですが、米陸軍砲兵隊は、サイパン島の南西約5kmにあるテニアン島に大砲を上げ、そこからサイパン島を砲撃しました。「目的の島に上陸するまで陸軍の大砲は活躍できない」ということはないのです。目標の島を射程内に捉えられる小さな岩礁でもあれば、そこに砲を揚げて敵の島を砲撃し、上陸部隊を支援してやれます。「端から端まで10kmもない小さな島の戦いに、射程30kmの大砲はいらない」ということはないのです。



重火器の科学
戦場を制する火力の秘密に迫る
かのよしのり 著



【著者】かのよしのり
1950年生まれ。自衛隊霞ヶ浦航空学校出身。北部方面隊勤務後、武器補給処技術課研究班勤務。2004年定年退官。著書はサイエンス・アイ新書『重火器の科学』『銃の科学』『狙撃の科学』など多数。
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