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2015年9月16日
湯煙の町にロボットがやってきた!(1)~城崎温泉pepperプロジェクト~
[連載] 湯煙の町にロボットがやってきた!【1】
文・三津田治夫
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pepperに「心」を与える、科学と芸術の出会い


『三人姉妹』ではアンドロイド「ジェミノイドF」と俳優が競演(撮影:青木司)

 舞台作家の平田オリザ氏と、ロボット工学者の石黒浩氏という、芸術と科学といった両極に位置するような才能の持ち主がなぜ共同で「アンドロイド演劇」を手がけるにいたったのだろうか。そこには、二人の考えに共通点があった。
 平田オリザ氏の考えを端的に表す言葉が、「俳優とはロボットである」。
そして石黒浩氏の考えはこうだ。「人間に心はない。人は互いに心を持っていると信じているだけである」。

 平田オリザ氏の言う「俳優とはロボットである」とは、舞台に立つ俳優は、本人が怒っているから観客の心に怒って映るのではなく、本人が悲しいから観客の心に悲しく映るのではない。俳優は台詞や動きを観客の心に届くよう緻密に計算したうえで、怒りや悲しさを行為として演じている。そうした台詞や動きに対し、舞台全体を俯瞰しながらおのおのの役者に具体的指示を与えるのが、演出家の役割だ。俳優は、0.3秒間を置く、40センチ右に動くなどの、演出家から与えられた指示に従い、台詞や抑揚、動き、タイミングなどを、忠実に再現すればよい。観客から俳優の心は見えない。俳優の台詞や動きから、観客は俳優のあるべき心を感じ取るだけだ。俳優は演技に私情を持ち込む必要はない。観客の心にアクションを届けることに徹すればよい。その意味で、俳優は「ロボット」である。

 そうした考えが、石黒浩氏の「人間に心はない。人は互いに心を持っていると信じているだけである」に通じる。人は、自分が本当に喜んでいるのか、悲しんでいるのか、自分の心を理解しがたい。一方で、相手の言動を見聞きすると、相手の喜びや悲しみが、自分の心の状態よりも明確に理解できることもある。また、その逆もある。

 自分自身に問いかけることや、相手の言動を見聞きすることで、人はあたかも「心がある」と思い込んでいるだけではないか。では、容姿と動作を限りなく人間に近づけたロボットを遠隔から操作し、人間と対話したら、人はロボットを心あるものと感じ、人はロボットに接近し、人と機械の新しいコミュニケーションの形が生まれるのではないか。その容姿と動作が人間に近ければ近いほど、対話する人間は深く感情移入し、ロボットに心を感じ取り、心を開くのではないか。その考えに則り石黒浩氏が開発したロボットが、人間とうり二つのアンドロイド、ジェミノイドである。ご存じの方も多いが、ジェミノイドFは平田オリザ氏の演出による舞台作品『さようなら』や『三人姉妹』で人間と共に俳優として演技している。ロボット工学者の手から生まれたアンドロイドに芸術家の演出が加わることで、アンドロイドは舞台俳優になったのである。

 こうした、ロボット工学という科学の世界と、舞台演出という芸術の世界がクロスオーバーした技術が、今回城崎温泉で実施されるpepperプロジェクトで実装されるのだ。

(続く)








Pepperプログラミング
基本動作からアプリの企画・演出まで
ソフトバンクロボティクス 村山 龍太郎 + 谷沢 智史、西村 一彦 著
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