カルチャー
2014年9月12日
なぜ"噛む"と認知症を予防できるのか
『認知症を「噛む力」で治す』より
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噛む力を取り戻して、認知症が改善した


 昨今、"噛む"ことが認知症予防につながるとして、注目を集めています。

 「噛むことが認知症の改善につながる」と言われても、にわかには信じられないかもしれません。しかし、病院など臨床の現場で働く医師の間では、噛んで食事をすることと認知症との関係については、以前から広く知られていました。

 病院に入院している患者さんが、何かの理由で口から食事をとることができなくなり、管(チューブ)などを使って栄養物質を胃に直接注入するようになると、認知症の症状が現われたという例があるからです。点滴だけで栄養補給している患者さんの場合も、同じように認知症が発症したという指摘があります。

 これらは噛まないことで認知症が発症した一例ですが、これだけでは、医師たちも噛むことと認知症の症状とを結びつけて考えるのは難しかったでしょう。彼らが両者を結びつけるようになったのは、噛むようになって症状が改善したという例をいくつも目にしたからです。

 岩手県奥州市の介護施設で暮らしている89歳のおばあさんは、認知症のため、息子さんの名前がなかなか思い出せず、徘徊などの症状も見られました。食事はというと、歯の状態が非常に悪かったためほとんど噛むことができず、噛まなくても飲み込める流動食が中心でした。

 ところが、入れ歯を作り、しっかり噛んで食事ができるようになると、認知症の症状が軽減したのです。息子さんの名前は即座に言えるようになりましたし、徘徊することもまったくなくなりました。

 自分に合った入れ歯を作ることで認知症の症状が改善した例は、ほかにもあります。脳梗塞が原因で認知症になった86歳のおばあさんは、話しかけてもまともな返事が返ってこない状態でした。同居していた娘さんは、母親に少しでも回復してもらいたいと、歯医者と相談して総入れ歯を作成し、きちんと噛んで食事ができるよう、懸命に手を貸し続けたそうです。すると、次第におばあさんの症状がよくなっていきました。「おいしい」と笑顔で味の感想を表現するようになり、およそ3か月後には、娘さんの手をほとんど借りずに、自力で食べられるようになったそうです。自ら化粧をするようになるなど、自意識がよみがえってきたといいます。

 また、寝たきりだった83歳のおじいさんは、合わなかった入れ歯を調整してもらって何でも食べられる状態になってから、1か月ほどで認知症の症状が改善されたといいます。それまで好物だった天ぷらを食べてもあまり反応がなかったのに、「おいしいと感じられるようになった」と話すようになりました。徐々にベッドから起き上がれるようにもなり、自立度も改善したそうです。そして、3か月たつ頃には、杖をつきながらですが、一人で歯科医院へ通えるところまで回復したといいます。

 「まさか」と疑う人もいるかもしれませんが、いずれも本当の話です。もちろん、認知症の症状が改善するかどうか、またその程度については、個人差があるので、噛めるようになれば認知症が治ると一概にはいえません。しかし、噛んで食事をすることが、認知症の改善にどれほど効果があるのか、その一端をこれらの事例が証明しているともいえるはずです。

 また、驚くべき研究データがあります。自身の歯を失った後、入れ歯などの義歯を使わずそのままにしている人は、20本以上歯がある人に比べ、認知症の発症リスクが1.9倍だったというものです。

 この結果は、日本福祉大学の近藤克則教授らによる次のような調査で明らかになりました。愛知県に住む65歳以上の健康な男女4425人を無作為に選び、4年間追跡。認知症発症までの日数と歯の数との関係を調べたというものです。これによると「歯が20本以上ある人と、それ以下の人では、20本以上の人が認知症になりにくく、19本以下でも、義歯を使っている人の方が認知症になりにくい」ことが分かりました。つまり、歯がなくなって義歯も使わずにいると、噛めなくなることで脳の認知機能の低下を招いてしまうということです。

 厚生労働省によると、今後、認知症高齢者の数も高齢者に占める割合も増加していくと予測されています。このような今こそ、噛むことと認知症との関係について、もっと真剣に考える必要があるのではないでしょうか。



認知症を「噛む力」で治す
小野塚 實 著



【著者】小野塚 實(おのづか みのる)
神奈川歯科大学名誉教授、日本体育大学教授、「咀嚼と脳の研究所」所長、日体柔整専門学校校長。1946年生まれ。東邦大学卒業。1986年米国ワシントン大学へ留学、1986年に岐阜大学医学部に移り認知症予防の神経科学的研究を行う。1989年には記憶研究の国際プロジェクトに参画するため、再びワシントン大学に招聘される。その後、岐阜大学医学部助教授などを経て現職。おもな著書に『噛めば脳が若返る』(PHP研究所)、『噛むチカラで脳を守る』『噛むチカラで肥満を防ぐ』『噛むチカラでストレスに勝つ』(健康と良い友だち社)など。近著は『認知症を「噛む力」で治す』(SBクリエイティブ)。



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