カルチャー
2014年12月11日
近代的な軍事制度を取り入れた日本軍の興亡から何を学べるか
[連載]
大局を読むための世界の近現代史【2】
文・長谷川 慶太郎
未来を読みとおす卓見は、歴史への正確な理解から生まれる! 元祖エコノミスト・長谷川慶太郎氏が、今後の国際社会の変化を見通すための、20世紀・近現代史の読み解き方を伝授する『大局を読むための世界の近現代史』(SB新書)から、今回は「日本軍の興亡」について解説しましょう。
日清戦争勝利の裏にあったイノベーション
日本はたゆまぬ努力と技術革新により、発展の道を歩んでいきました。明治期には兵器・弾薬の国産化が行われ、例えば銃器では、鹿児島出身の村田経芳が日本で最初の国産小銃である「村田銃」を開発しています。
この村田銃は改良に改良を重ね、日露戦争のときには「三十年式歩兵銃」として活躍します。日露戦争後は「三八式歩兵銃」に進化し、第二次世界大戦でも活用されました。
当時、自国の軍隊に自国産の兵器を装備させられる国は7つ(イギリス、ドイツ、フランス、ロシア、オーストリア、イタリア、アメリカ)しかありませんでしたが、その中に日本も入ったのです。
明治27年(1894)、日本は日清戦争で、「眠れる獅子」と呼ばれた清国に勝利します。このとき日本陸軍が使っていた大砲は青銅製で、砲弾は遠くまで飛ばず、破壊力も乏しいものでした。
一方、清国軍の大砲は鋼鉄でできており、日本軍のものよりも性能が優れていました。それでも日本軍が勝利を収めたのは、兵隊の調練の差にありました。清国軍には性能がよい大砲がありましたが、それをうまく使いこなすことができない。そのため、清国軍は敗れたのです。
この日清戦争での勝利により、日本はアジア諸国の中で初めて外国に植民地を有する地位を得ました。そして明治37年(1904)、日本はロシアに宣戦布告し、日露戦争が始まります。
日本軍はこの戦争で大きなダメージを受けましたが、もっとひどかったのがロシア軍です。戦争末期になると日本軍は砲弾が足りなくなりましたが、ロシア軍はもっと不足していました。これはロシア陸軍参謀本部が編纂し、日本陸軍参謀本部が翻訳した『日露戦争における露軍の後方勤務』にも記されています。
砲弾が不足していたロシア軍は、ポーランドのワルシャワ軍管区にあった砲弾を満州に運びました。ヨーロッパ正面でドイツやオーストリアとの軍事力の均衡を維持しなければならない、にもかかわらずです。その結果、戦争が終わったとき、ロシア軍は砲弾の手持ち在庫がほとんどないという状況に陥っていました。仮にこのときヨーロッパで戦争が起きていたら、ロシア軍はまとも対峙できなくなっていたはずです。
日清・日露戦争での勝利が生んだ慢心
明治維新において、日本は初めて近代的な軍事制度を取り入れました。幕末に黒船が来航するまでは、関ヶ原以来変わることのない刀や鎧、火縄銃などを武装していましたが、それでは世界で戦えないと感じ、軍の近代化を目指したのです。
明治政府は多くの将校をヨーロッパに派遣し、近代的な軍事制度の習得に励みました。またヨーロッパの軍事制度・技術を多くの日本人に伝えるため、各国の軍事科学専門書が相次いで日本語に翻訳されました。さらに陸軍士官学校や海軍兵学校が設立され、幹部の養成にも力を注ぎました。
こうした努力の結晶が、日清・日露戦争での勝利でした。明治維新から30年余、ヨーロッパの軍事制度の導入が結実した瞬間でもあったのです。明治43年(1910)には朝鮮半島を併合し、日本は「島国」から「大陸国家」へと変わっていきました。
そして国際連盟で常任理事国を務めるなど、国際社会における日本の存在感はますます高まっていました。ところが日英同盟が大正12年(1923)8月17日に失効すると、日本の発展に暗い影が落ちていきます。
日本は、ヨーロッパから軍事制度・技術を学ぶことで日清・日露戦争に勝利しました。しかし戦後、日本陸軍は最新の制度や技術を取り入れるのをやめてしまいます。
代わって尊重されたのが「日本独自の兵学」であり、それが「典範令」として体系化されていきます。こうして、いつしか典範令に定められているという「建前」が強調されるようになりました。
長谷川慶太郎(はせがわけいたろう)
国際エコノミスト。1927年京都府生まれ。1953年、大阪大学工学部卒。新聞記者、雑誌編集者、証券アナリストを経て独立し、現在まで多彩な評論活動を展開している。この間、1983年に『世界が日本を見倣う日』(東洋経済新報社)で第3回石橋湛山賞を受賞するなど、政治・経済・国際情勢についての先見性にあふれる的確な分析を提示、日本経済の動きを世界的、歴史的な視点を含めて独創的に捉え続けている。『長谷川慶太郎の大局を読む』シリーズ(李白社)、『中国崩壊前夜 北朝鮮は韓国に統合される』(東洋経済新報社)、『大破局の「反日」アジア、大繁栄の「親日」アジア そして日本経済が世界を制する』(PHP研究所)など著書多数。近著は『大局を読むための世界の近現代史』(SBクリエイティブ)。
国際エコノミスト。1927年京都府生まれ。1953年、大阪大学工学部卒。新聞記者、雑誌編集者、証券アナリストを経て独立し、現在まで多彩な評論活動を展開している。この間、1983年に『世界が日本を見倣う日』(東洋経済新報社)で第3回石橋湛山賞を受賞するなど、政治・経済・国際情勢についての先見性にあふれる的確な分析を提示、日本経済の動きを世界的、歴史的な視点を含めて独創的に捉え続けている。『長谷川慶太郎の大局を読む』シリーズ(李白社)、『中国崩壊前夜 北朝鮮は韓国に統合される』(東洋経済新報社)、『大破局の「反日」アジア、大繁栄の「親日」アジア そして日本経済が世界を制する』(PHP研究所)など著書多数。近著は『大局を読むための世界の近現代史』(SBクリエイティブ)。