カルチャー
2015年11月30日
追悼:水木しげる――『水木しげるのラバウル戦記』を読む
[連載] 「戦記」で読み解くあの戦争の真実【1】
文・常井宏平/監修・戸高一成
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 だが『ラバウル戦記』ではユーモアあふれる文章で、軍隊での生活をつづっている。これは、水木が元来楽天的な性格の持ち主だったからだ。後年、水木は戦場で左腕を失っているが、これについても「私は片腕がなくても他人の3倍は仕事をしてきた。もし両腕があれば、他人の6倍は働けただろう」と語っている。

 水木はマイペースな性格の持ち主だったが、それゆえに上官から幾度も鉄拳制裁を食らっている。パラオに到着してボンヤリしていると、「その兵隊なにやってるんだ!!」とビンタをされた。また上官や古兵に茨城県出身者が多く、訛りが聞き取れずに殴られることもあった。あまりに殴られ続けたことから「ビンタの王様」というあだ名までついたが、それでも水木は、次の日になるとケロッとしていたという。

 軍隊の上下関係はとても厳しく、陣地構築の作業に加えてさまざまな雑用を押しつけられた。その最たるものが、食事を運ぶ「めし上げ」である。めし桶を充分洗っていないと炊事用のしゃもじで殴られ、ときにはみそ汁を入れるひしゃくで殴られたこともあった。  こうした理不尽な上下関係について、水木は次のように述べている。

「ぼくに忍耐ということを教えてくれたものがあるとすれば、この古兵たちだろう。どんな理不尽なことをされても、だまっていなければいけないのだ」

 古兵たちの鉄拳制裁は毎日続いたため、初年兵たちは「敵の方がアッサリしていい感じだ」と話し合ったという。そして水木にとって悲劇だったのは、日本内地から兵が送られてこなかったことである。そのため、いつまで経っても階級が一番下で、雑用を押しつけられ続けた。

 そんなある日、水木がいた部隊が機銃掃射による攻撃を受ける。さらに原住民ゲリラに襲われたが、水木は海に飛び込んで難を逃れた。その後はふんどし姿でジャングルを数日間さまよい、何とか中隊に帰還した。だが上官は「なんで逃げ帰ったんだ。皆が死んだんだから、お前も死ね」といい、水木の軍に対する不信は高まっていった。

 その後もマラリアを発症して42度の熱を出すなど、陰惨な状況が続いた。そして療養中に爆撃に遭い、左腕に重傷を負った。軍医によって左腕を切断されたあとは半死半生の状態が続いたが、奇跡的に一命を取り止めた。

終戦後にラバウルでの永住も考える


 このように、水木は戦地で過酷な日々を強いられたが、一方で、本作品ではラバウルの原住民との交流も描かれている。いつ終わるともわからない戦争の日々の中で、水木は原住民の集落に赴き、彼らとの仲を深めていった。

 そして昭和20年(1945)8月25日、鼻の下にヒゲを生やした大佐からポツダム宣言を受諾した旨を伝えられる。水木も兵たちもポツダム宣言が何なのか理解できず、「日本が勝ったのか?」と囁いたが、程なく戦争が終わったことを理解した。

 ラバウルを去るとき、原住民たちは「日本に帰ってはいけない。お前、この部族の者になれ」「ここに残るなら、畑も作ってやろう」「家も建ててやろう」と口々に言った。水木も「内地に帰って軍隊みたいに働かされるよりは、ここでのんびり一生を送った方がいいかもしれない」と現地除隊して永住することも考えたが、軍医に「いちど内地に帰ってからでもよいだろう」と説得され、帰国を決意した。

 原住民とは「7年後に必ず来る」と誓い合って別れたが、水木が次にラバウルを訪れたのは23年後のことであった。帰国後、水木は国立相模原病院(現在の国立病院機構相模原病院)に入院し、その間に武蔵野美術学校(現在の武蔵野美術大学)を受験した。だが学費を稼ぐためにアルバイトをこなす日々が続き、とてもラバウルに行くどころではなかったのだ。

 この時期の水木は人気漫画家として多忙な日々を過ごしていたが、この地で牧歌的な日々を過ごしたことで、自分のマイペースさを取り戻した。そして、その後もラバウルを何度か訪れ、昔のように原住民と交流している。

 ちなみに水木は階級が一番低い二等兵だったが、ラバウルでもっとも階級が高かったのが、名将と謳われた今村均陸軍大将である。今村に関する著書も数多く刊行されているので、比較して読んでみてもよいだろう。

(了)





「戦記」で読み解くあの戦争の真実
日本人が忘れてはいけない太平洋戦争の記録
戸高 一成 監修



戸高一成(とだかかずしげ)
呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)館長。1948年、宮崎県生まれ。多摩美術大学卒業。財団法人史料調査会主任司書、同財団理事、厚生労働省所管「昭和館」図書情報部長を歴任。著書に「戦艦大和復元プロジェクト」「戦艦大和に捧ぐ」「聞き書き・日本海軍史」「『証言録』海軍反省会」「海戦からみた太平洋戦争」「海戦からみた日清戦争」「海戦からみた日露戦争」。編・監訳に「戦艦大和・武蔵 設計と建造」「秋山真之戦術論集」「マハン海軍戦略」。共著に「日本海軍史」「日本陸海軍事典」「日本海軍はなぜ誤ったか」。部分執筆としてオックスフォード大学出版部から発行された「海事歴史百科辞典」全4巻(The Oxford Encyclopedia of Maritime History・2007)に東郷平八郎や呉海軍工廠などの項目を執筆。
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