カルチャー
2015年11月30日
追悼:水木しげる――『水木しげるのラバウル戦記』を読む
[連載] 「戦記」で読み解くあの戦争の真実【1】
文・常井宏平/監修・戸高一成
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『水木しげるのラバウル戦記』は、『ゲゲゲの鬼太郎』など妖怪漫画の第一人者である水木しげるが、一兵卒として送り込まれた太平洋戦争の激戦地ラバウル(ニューブリテン島)で過ごした日々を、人間味あふれる文章でつづった戦記である。イラストを交えた戦記物はそれほど多くはなく、数ある戦記の中でも、日本人なら、ぜひ読んでおきたい一冊だ。


水木しげるが一兵卒として過ごした日々


『「戦記」で読み解くあの戦争の真実』(戸高一成 監修)より

 本作品のイラストは、3つの部分に分かれている。最初の部分の絵は昭和24年(1949)から昭和26年(1951)にかけて、発表するあてもないまま描いたものである。ただし、途中で経済的な事情で働かざるを得なくなり、"戦記"を中断している。そこで続きの部分は、昭和60年(1985)に刊行した『娘に語るお父さんの戦記・絵本版』(河出書房新社)のために描いた絵を収録している。そして後半部のイラストは、終戦時にトーマという地で描いたものだ。

 本作品以外にも、水木は戦争を主題とする作品を描いている。例えば、漫画では昭和48年(1973)に書き下ろし作品として発表された、『総員玉砕せよ!聖ジョージ岬・哀歌』がある。南太平洋に浮かぶニューブリテン島のバイエン支隊が、敵軍に斬り込んで玉砕するまでを描いている。


 水木はあとがきに「90パーセントは事実」と書いており、いくつか事実との相違はあるが、きちんとした自伝的戦記漫画である。この作品は平成19年(2007)、『鬼太郎が見た玉砕~水木しげるの戦争~』のタイトルでテレビドラマ化されている。

 また貸本漫画家時代には、戦記ものを集めた雑誌を主宰していたが、売り上げはさほど伸びなかった。戦時中にエース・パイロットとして活躍した坂井三郎から「戦記文学は勝利したものでないと売れない」というアドバイスを受けたが、水木には勝ち戦の経験がほとんどなく、そういった話を描くのはとても難しかった。結局、程なくして雑誌は潰れてしまったという。

理不尽な鉄拳制裁と敵の爆撃に見舞われる


 水木しげるは大正11年(1922)3月8日、大阪府西成郡粉浜村(現在の大阪市住吉区東粉浜)に生まれた。「水木しげる」は漫画家としての筆名で、本名は武良(むら)茂という。幼少期は鳥取県の境港で過ごし、高等小学校卒業後は、大阪で働きながら画家を目指していた。

 だがその最中に、太平洋戦争が勃発する。20歳になった水木は徴兵検査を受け、近眼だったが身体が頑丈だったため、乙種合格となった。そして21歳のときに召集令状が届き、鳥取の歩兵第40連隊留守隊に入営した。

 水木は喇叭手(ラッパシュ)になったもののラッパが上手く吹けず、上官に配置換えを申し出た。上官から「北がいいか、南がいいか」と聞かれた水木は、寒いのが苦手だったこともあり、「南がいいです」と答えたが、それによりラバウル行きが決定する。水木は老朽船の「信濃丸」に乗って南方に向かい、ここから『ラバウル戦記』の物語が幕を明ける。

 戦時下の南方戦線では兵たちが悲惨な生活を強いられており、水木も例外ではなかった。






「戦記」で読み解くあの戦争の真実
日本人が忘れてはいけない太平洋戦争の記録
戸高 一成 監修



戸高一成(とだかかずしげ)
呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)館長。1948年、宮崎県生まれ。多摩美術大学卒業。財団法人史料調査会主任司書、同財団理事、厚生労働省所管「昭和館」図書情報部長を歴任。著書に「戦艦大和復元プロジェクト」「戦艦大和に捧ぐ」「聞き書き・日本海軍史」「『証言録』海軍反省会」「海戦からみた太平洋戦争」「海戦からみた日清戦争」「海戦からみた日露戦争」。編・監訳に「戦艦大和・武蔵 設計と建造」「秋山真之戦術論集」「マハン海軍戦略」。共著に「日本海軍史」「日本陸海軍事典」「日本海軍はなぜ誤ったか」。部分執筆としてオックスフォード大学出版部から発行された「海事歴史百科辞典」全4巻(The Oxford Encyclopedia of Maritime History・2007)に東郷平八郎や呉海軍工廠などの項目を執筆。
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