カルチャー
2015年12月8日
真珠湾攻撃から74年【2】――その後の勝ち目はあったのか?名著『失敗の本質』に学ぶ
[連載] 「戦記」で読み解くあの戦争の真実【3】
文・常井宏平/監修・戸高一成
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過去の成功体験にとらわれ続けた日本軍


 本作品で紹介する「失敗の本質」は、次のようなものである。

(1)環境の変化に合わせて戦略や体制が変えられない硬直化した組織
(2)戦略目的があいまいで、意思統一が徹底されていない
(3)戦力の漸次・分散投入による失敗
(4)プロセスや動機を重視するあまり、結果に対する責任があいまいになっている
(5)敵の戦力や戦略を過小評価し、なおかつ成功体験から自軍を過大評価する

 この中でも、著者たちは(1)の部分を強調して述べている。日本軍では戦略よりも組織内の融和と調和を重視し、その維持に多大なエネルギーと時間が費やされていた。その結果、組織としての自己革新や見直しをはかることができず、組織が未熟なまま大東亜戦争へと突入してしまったのだ。

 では、なぜ日本軍は組織としての自己革新や見直しができなかったのか。その原因として本作では、「過去の成功への過剰適応」を挙げている。日本の陸海軍は日露戦争という最大の危機を乗り越えたことで、列強諸国の仲間入りを果たした。

 だが同時に、日露戦争の成功は、陸軍に「白兵銃剣主義」、海軍に「艦隊決戦主義」というパラダイム(模範)を確立させる。陸海軍ではこのパラダイムが徹底的に叩き込まれ、徐々に精神主義が蔓延するようになった。『失敗の本質』では、過度な精神主義が装備の近代化や科学合理主義を妨げたことも指摘している。

 日本軍は猛訓練を積むことで軍の力が増すと考えていたが、これは現代社会でも通じるものがある。例えば「残業、休日出勤もいとわない奉仕精神」というのは、その典型といえる。今でこそ仕事に効率性や合理性を求めるようになっているが、かつては「モーレツ社員」「気合と根性」がもてはやされてきた。こうした日常生活の部分にも、日本軍の名残が残っていたのだ。

 また「過去の成功体験への依存」も、現代の企業に根深くはびこっている。大東亜戦争では戦争を取り巻く環境が激変していたにもかかわらず、日本軍は過去に成功した行動をそのままコピーして実行して失敗したが、企業でも一度成功したモデルから離れられず、没落した例がある。環境の変化に合わせて臨機応変に対処することが、現代に向けての"教訓"であるといえる。

戦略目的のあいまいさと情報軽視で勝機を逸する


 そして戦略上の失敗要因として、「戦略目的があいまいだった」という点を指摘している。

 例えばミッドウェー海戦では、その目的が次のように策定されている。
 
〈ミッドウェー島を攻略し、ハワイ方面よりする我が本土に対する敵の機動作戦を封止するとともに、攻略時出現することあるべき敵艦隊を撃滅するにあり。〉

 最初に「ミッドウェー島を攻略」といっておきながら、後半では「敵艦隊を撃滅」とある。アメリカのニミッツ提督も「二重の目的」と指摘しており、作戦目的がいかにあいまいだったかがうかがえる。またミッドウェー海戦では、日本側が情報収集を重視しておらず、敵の発見が遅れたことで勝機を逸したという指摘もある。一方で、アメリカは一貫して情報を重視し、目的を日本の空母群の撃滅に集中し、劣勢を跳ね返して勝利を収めたのである。

 そもそも、日本は日米開戦を志向した段階から確たる長期的展望を有していなかった。

 軍上層部は「緒戦で勝利し、南方の資源地帯を確保して長期戦に持ち込めば、アメリカは戦意を喪失し、その結果として講和が獲得できる」という路線を漠然と考えているに過ぎなかったのだ。

 連合艦隊司令長官の山本五十六は、近衛文麿首相から日米開戦後の見通しについて問われたとき、「是非やれと言われれば、初め半年や1年は、ずいぶん暴れて御覧に入れます。しかし2年3年となっては、まったく確信はもてません」と答えている。

 山本は対米戦については反対の意向を述べていたが、「やるからには短期で決着をつけなければならない」と考えていた。だが長期的な見通しを欠いたまま対米戦に踏み切ったことで、日本国民は終わりがみえない、泥沼の戦いへと巻き込まれてしまった。

 こうした短期決戦志向は、勇猛果敢な戦いを展開するには利があったかもしれない。しかし、一方で防禦や情報、諜報は重視されなくなり、兵站の軽視にもつながっていった。

 文庫版のあとがきでは、「わが国のあらゆる領域の組織は、主体的に独自の概念を構想し、フロンティアに挑戦し、新たな時代を切り開くことができるかということ、すなわち自己革新組織としての能力を問われている。本書の今日的意義もここにあるといえよう」とまとめられている。「失敗は成功のもと」ということわざがあるが、失敗からどれだけ多くのことを学び、次に活かせるかが、その"本質"といえるだろう。

(了)





「戦記」で読み解くあの戦争の真実
日本人が忘れてはいけない太平洋戦争の記録
戸高 一成 監修



戸高一成(とだかかずしげ)
呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)館長。1948年、宮崎県生まれ。多摩美術大学卒業。財団法人史料調査会主任司書、同財団理事、厚生労働省所管「昭和館」図書情報部長を歴任。著書に「戦艦大和復元プロジェクト」「戦艦大和に捧ぐ」「聞き書き・日本海軍史」「『証言録』海軍反省会」「海戦からみた太平洋戦争」「海戦からみた日清戦争」「海戦からみた日露戦争」。編・監訳に「戦艦大和・武蔵 設計と建造」「秋山真之戦術論集」「マハン海軍戦略」。共著に「日本海軍史」「日本陸海軍事典」「日本海軍はなぜ誤ったか」。部分執筆としてオックスフォード大学出版部から発行された「海事歴史百科辞典」全4巻(The Oxford Encyclopedia of Maritime History・2007)に東郷平八郎や呉海軍工廠などの項目を執筆。
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