カルチャー
2016年5月26日
広島・長崎に原爆は落とされる必要があったのか
トルーマンと原爆投下の本当の動機
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始めるのは簡単でも終わらせるのが難しい戦争


 これは歴史上のイフになりますが、日本には天皇制の維持を約束し、原爆投下を予告し、ソ連の参戦も示唆していたら日本は自ら終戦を決断しただろうと思います。

 原爆投下が終戦のために決定的だったかどうかというのは、なんともいえないところです。

 なぜなら、終戦は御前会議での合議で決まるのですから、参加者それぞれが何をもって賛成したり反対したりするか違うからです。

 ただ、原爆が決定的な意味を持っていたという証言は多くあります。

 「この種の武器が使用せらるる以上、戦争継続は愈々(いよいよ)不可能となれるにより、有利なる条件を得んがために、戦争終結の時期を逸するは不可なり。条件を相談するも纏(まと)まらざるに非(あらざ)るか。なるべくすみやかに戦争終結をするように努力せよ」(『終戦史録』外務省)というのは、東郷茂徳外相が天皇に報告した時にいただいたお言葉です。

 また、「言葉は不適当と思うが、原子爆弾の投下とソ連の参戦は、ある意味では天佑(てんゆう)であると思う。国内情勢によって戦争をやめるということを、出さなくてすむからである」(『検証戦争責任Ⅱ読売新聞戦争責任検証委員会』)という米内海相の8月12日の発言や、当時の書記官だった迫水久常の「原子爆弾だけに責任をおっかぶせればいいのだ。これはうまい口実だった」(『大日本帝国最後の四か月』)といった言葉も残っています。

 これらを見ても、中枢部が原爆投下にかなり決定的な意味を感じていたのは事実でしょう。ソ連の参戦は、満州や朝鮮が危うくなるだけですが、原爆は日本そのものの壊滅を現実のものとするのですから、恐怖は比べものにならなかったと思われます。

 そういう意味では、アメリカの側から見れば、トルーマンが原爆を終戦の切り札にしたことまでは理解できます。

原爆投下の予告だけでも終戦は導けたのではないか


 しかし、予告だけでもよかったのではないか、あるいは、もっと東京に近く、人口の少ない軍事拠点に投下した方が、人的損失を増やさないで終戦決断を早められたのでないか、といった意見には反論できないはずで、意図的に人的被害を多くして人体実験をしたといわれても仕方ありません。

 戦後におけるソ連との対立を想定して、アメリカの軍事力を見せつけたのだというオリバー・ストーン監督のような意見もありますが、それほどソ連を恐れていたのなら、その参戦を止めることを優先すべきですから笑止千万です。

 アメリカが共産主義の脅威にもう少し注意深ければ、第二次世界大戦の死者もはるかに少なくてすんだし、東西冷戦という不幸もなかったのは確かです。そして、そういう賢明な判断をしなかった背景にコミンテルンの工作があったことは見逃せません。

(了)


日本人の知らない日米関係の正体
本当は七勝三敗の日米交渉史
八幡 和郎 著



八幡和郎(やわたかずお)
昭和26 年、滋賀県大津市生まれ。東京大学法学部卒。通商産業省(現・経済産業省)入省。フランス国立行政学院(ENA)留学。国土庁長官官房参事官、通産省大臣官房情報管理課長などを歴任し、中国との通商問題や研究協力を担当した後、現在、作家・評論家としてテレビなどでも活躍中。徳島文理大学大学院教授。主要著書に『江戸三〇〇藩 最後の藩主』(光文社新書)、『歴代総理の通信簿』(PHP新書)、『本当は恐ろしい江戸時代』(SB 新書)、『世界の国名地名うんちく大全』『世界の王室うんちく大全』(ともに平凡社新書)など。
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