カルチャー
2014年9月24日
なぜブルーインパルスは、とてつもない曲技飛行ができるのか?
文と写真・赤塚 聡
皆さんは「ブルーインパルス」という言葉を聞いたことがあるでしょうか?
1964年に行われた東京オリンピックの開会式で、上空に見事な五輪を描いたジェット機の有名なエピソードをはじめ、1998年の長野オリンピックや2002年のFIFAワールドカップの日本代表チーム初戦など、世界的な一大イベントの数々で、スモークを曳いて上空を通過したジェット機の姿は国内外に広く報道されましたので、きっとご存じの方も多いと思います。
このジェット機こそが、航空自衛隊のアクロバット・チーム「ブルーインパルス(青い衝撃)」なのです。
今から半世紀以上前の1960年に発足したブルーインパルスは、全国各地の航空自衛隊の基地などで開催される航空祭(エアショー)や、大きな国民的行事などで華麗なアクロバット飛行を披露して、長きにわたり多くの人々を魅了し続けてきました。
ここでは、ブルーインパルスの全容を解説したサイエンス・アイ新書「ブルーインパルスの科学」の刊行を契機として、わが国が誇るこの曲技飛行チームをご紹介しましょう。
部隊設立の意義と任務
ブルーインパルス(正式名称:第11飛行隊)は、宮城県松島基地に所在する第4航空団という飛行部隊に所属しています。その任務は、展示飛行を通じて広く一般に航空自衛隊の存在をアピールすることであり、航空自衛隊で唯一「広報」を主任務とするアクロバット(曲技)専従の飛行隊です。
こうした曲技飛行チームは、わが国の航空自衛隊に限らず、世界の主要な空軍には必ず編成されています。その設立の目的は、ブルーインパルスと同様に国防に対する理解を深めることに加えて、パイロットの技量や装備している航空機の性能の高さを内外に示すことで、諸外国に対して自国の精強さをアピールする役割も担っています。すなわち、戦闘機を装備する飛行部隊と同様に、「抑止力」という観点からも重要な役割を果たしているのです。
ブルーインパルスのパイロットは、F-15やF-2といった戦闘機の飛行隊で活躍しているファイターパイロットの中から選抜されています。
配属後は約1年間にわたって前任の先輩パイロットからマンツーマンで指導を受けながら、厳しい訓練が行われます。そして晴れて展示飛行操縦士の資格を取得した後は、航空祭などで行われる展示飛行でデビューを飾ることになります。
その後は全国各地で展示飛行を行う傍らで、新たに配属された後任のパイロットに自身が体得した技を継承すべく、指導にあたります。
このようにブルーインパルスのメンバーの在籍期間は約3年という短いローテションとなっていて、長期にわたって曲技飛行専任のプロフェッショナルを配置している訳ではありません。これはメンバーとなったパイロットの本来の使命は、あくまでも「ファイターパイロットとして国防を担うことにある」からです。
【著者】赤塚 聡(あかつか さとし)
1966年、岐阜県生まれ。航空自衛隊の第7航空団(百里基地)でF-15Jイーグル戦闘機のパイロットとして勤務。現在は航空カメラマンとして航空専門誌などを中心に作品を発表するほか、執筆活動やDVDソフトの監修なども行っている。またブルーインパルスには定期的に同乗して空撮取材を実施している。日本写真家協会(JPS)会員。おもな著書は『ドッグファイトの科学』(サイエンス・アイ新書)、『T-4 Blue Impulse写真集』(TIPP)。
1966年、岐阜県生まれ。航空自衛隊の第7航空団(百里基地)でF-15Jイーグル戦闘機のパイロットとして勤務。現在は航空カメラマンとして航空専門誌などを中心に作品を発表するほか、執筆活動やDVDソフトの監修なども行っている。またブルーインパルスには定期的に同乗して空撮取材を実施している。日本写真家協会(JPS)会員。おもな著書は『ドッグファイトの科学』(サイエンス・アイ新書)、『T-4 Blue Impulse写真集』(TIPP)。