ビジネス
2014年10月7日
アドラー心理学のツボ、「共同体感覚」とは何を意味するのか?
[連載] アドラー 一歩踏み出す勇気【4】
文・中野 明
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共同体のコモンセンスに準じて生きる


 このように考えると、共同体に生きる人は、まず、共同体に貢献することを考えなければなりません。
 共同体から「得る」ことを考えるのではなく、まず「与える」ことを考えねばなりません。

 共同体に貢献する(あるいは与える)ということは、その共同体が価値のあるものと考えていることに奉仕することです。アドラーは共同体にとっての価値あるものをコモンセンスと呼びました。

 言い換えるとコモンセンスを理解し、これに準じた貢献を共同体に対して行う。そうすれば共同体はその人に感謝するでしょう。
 このときに得られる感情、これが共同体感覚にほかなりません。

 そもそも考えてみれば、社会という共同体は、何か貢献してくれた人に対して感謝の意を示します。感謝だけで足りない場合、報酬も支払うことがあるでしょう。

 では、皆さんは、何も貢献しない人に報酬を支払おうとしますか。普通はしませんよね。

 しかし我々はこの極めて基本的な事実をとかく忘れがちです。貢献しない人には報酬を支払わない。
 でも我々は、貢献する前に、何かを奪おうとする。与える前に、何かを得ようとする。

 この考え方って、おかしいですよね。実はこれが私的論理を前提にした生き方です。
 この態度をコモンセンスに準じた生き方に調整する。いわば自分の生き方、不適切だったライフスタイルを、コモンセンスに準じたライフスタイルにちょっとだけ変える。

 誰しも従来のやり方を変えるのは億劫です。
 しかし、そのままでは何も変わりません。
 勇気を出して一歩踏み出そう。そうすれば幸福が得られる。

 アドラーはこのように我々の背中を押してくれるわけです。

我々が貢献すべき共同体とは何か?


 では、私たちが貢献すべき共同体とは具体的に何を指すのでしょうか。

 共同体の最も小さな単位は家族ではないでしょうか。
 となると、家族が有するコモンセンスに奉仕するような活動をすれば共同体感覚を得られるに違いありません。

 しかし共同体にはレベルがあります。地域コミュニティは家族を包含します。
 したがって家族にとって善きことでも、地域コミュニティにとって悪しきことならば、その行為は適切なものとは言えないでしょう。

 さらにレベルを上げると、地域コミュニティの上には国家があり、国家の上には人類があります。
 こうして共同体のレベルを上へ上へと昇っていくと、「全人類の理想的な共同体」に行き着きます。

 したがって、より上位の共同体感覚は、国や民族への奉仕でもなく、人類全体を包括する理想社会にとっての共通の利益や福祉に貢献することです。

共同体感覚は宇宙まで広がる


 さらにアドラーは、共同体感覚の範囲を宇宙にまで広げました。

 「(連帯感や共同体感覚は)それは、ニュアンスを違えたり、制限を受けたり拡大されたりしながら生涯続いていき、機会に恵まれれば家族のメンバーにだけでなはなく、一族や民族や全人類にまで広がりさえする。それはさらにそういう限界を超え、動植物や他の無生物にまで、遂にはまさに遠く宇宙まで広がることさえある」(『人間知の心理学』)

 東洋の文化、特に日本の文化には、アニミズムという世界観、天地自然生きとして生きるもの全てが魂を持つという生命観があります。仏教ではこれを「草木国土悉皆成仏(そうもくこくどしっかいじょうぶつ)」と呼びました。

 アドラーの共同体感覚にも、どこか同様の東洋的・日本的な思想に受け継げられてきた香りが漂うような気がするのです。

(第4回・了)





アドラー 一歩踏み出す勇気
中野 明 著



【著者】中野 明(なかの あきら) 1962年滋賀県生まれ。作家。立命館大学文学部哲学科卒。同志社大学非常勤講師。ビジネス、情報通信、歴史の3分野で精力的に執筆活動を展開。著書に『超図解 勇気の心理学 アルフレッド・アドラーが1時間でわかる本』(学研パブリッシング)、『ポケット図解 ピーター・ドラッカーの「自己実現論」がわかる本』(秀和システム)、『今日から即使える!ドラッカーのマネジメント思考』(朝日新聞出版社)、『悩める人の戦略的人生論』(祥伝社新書)など多数ある。近著は『アドラー 一歩踏み出す勇気』(SB新書)。
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