ビジネス
2014年10月7日
アドラー心理学のツボ、「共同体感覚」とは何を意味するのか?
[連載]
アドラー 一歩踏み出す勇気【4】
文・中野 明
アドラー心理学のキ―・コンセプト「共同体感覚」
この連載の第1回で解説したように、アドラー心理学はあらゆる人が持つ劣等感に注目しました。
そして我々人間が持つ器官的劣等感を補償するために、人類は共同体を形成するようになりました。それは何万年、何十万年も前のことかもしれません。
明らかなのは人類が共同体を形成したのは極めて古い時代だということです。
そして注目すべきは、いまだ人類は家族や国家という共同体を形成して生きているという事実です。
要するに我々は、共同体なくして生きられない、そんな定めを何万年も前から背負っているのかもしれません。
アドラーはこの共同体に注目しました。
そして仮に人が共同体に所属することなしに生きていくのが困難だとしたら、人の幸福は共同体との関係に大いに左右されるのではないか。アドラーはこのように考えました。
その上で人が幸福感を得るには「共同体感覚」を得ることが欠かせないと考えたわけです。
では、アドラー心理学のキー・コンセプトでもある共同体感覚とは何なのでしょう。
世の中、私的理論で生きている人があまりにも多い
共同体感覚を平たく言うと、人が全体の一部であること、全体とともに生きていることを実感すること、そうした感覚を指します。
こうした共同体感覚の意味をより際立たせるには、共同体感覚を欠如した状態を考察すればいいでしょう。それは私的論理に基づいて生きている状態だと言ってもよいでしょう。
私的論理とは自分の利益を第一に考える生き方です。アドラーは私的理論の虜になって生きている人を次のように表現しました。
「彼らが自らの目標を達したときに、彼ら以外の誰も利益を受けないし、彼らの関心はただ彼ら自身にしか及ばないのである。彼が成功しようと努力するその目標は、虚構の個人的優越にすぎず、彼らの勝利は彼ら自身にとってだけ何か意味あるものにすぎない」(『人生の意味の心理学』)
これが共同体感覚の欠如した私的論理による生き方です。
アドラーは人が生きていくには共同体に所属するのが欠かせないと考えました。
しかし、共同体の中で生きている人が、自己の利益のみ考えて、他者から得ることばかりを考えればどうなるでしょう。誰もが相手から搾取することばかり考えれば、やがて共同体は成立しなくなります。
共同体なしでは生きられない人間にとってこれは極めて不都合です。
【著者】中野 明(なかの あきら)
1962年滋賀県生まれ。作家。立命館大学文学部哲学科卒。同志社大学非常勤講師。ビジネス、情報通信、歴史の3分野で精力的に執筆活動を展開。著書に『超図解 勇気の心理学 アルフレッド・アドラーが1時間でわかる本』(学研パブリッシング)、『ポケット図解 ピーター・ドラッカーの「自己実現論」がわかる本』(秀和システム)、『今日から即使える!ドラッカーのマネジメント思考』(朝日新聞出版社)、『悩める人の戦略的人生論』(祥伝社新書)など多数ある。近著は『アドラー 一歩踏み出す勇気』(SB新書)。