カルチャー
2015年5月11日
【戦う名城】強さと美しさを兼ね備えた軍事要塞・姫路城の秘密
[連載] 戦う名城【1】
文・萩原さちこ
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関ヶ原合戦後に築かれた「大坂包囲網」の1つ


重要な軍事的役割を担う

 姫路城の築城が開始されたのは、関ヶ原合戦直後の1601年(慶長6)のこと。全国の大名が築城技術を習得し、秀逸な城をこぞって築いた築城ラッシュの真っ最中である。

 9年の歳月をかけて姫路城をつくり上げた初代姫路藩主・池田輝政は築城名人としても名高いのだが、当時築かれた城がすべて姫路城のように壮麗で立派だったわけではない。当時37歳の若き輝政が絢爛豪華な堅城を築けたのは、ずばり輝政が徳川家康の娘婿だからだ。

 天下分け目の関ヶ原合戦に勝利したとはいえ、政権は変わらず大坂城の豊臣秀頼の手中にあった。関ヶ原合戦の名目はあくまで石田三成の討伐であって、勝利した家康がすぐさま政権を握るわけではないのだ。むしろ、家康は豊臣政権を脅かす要注意人物として睨まれる立場となった。

 いつ豊臣恩顧の大名から潰されるかわからない切迫した状況下にあった家康は、大坂との決戦を見据え、豊臣勢と西国でうずく有力大名を牽制すべく手を打った。大坂城を取り囲むように街道上の要衝に城を新築・改築して、城による包囲網を構築したのだ。大坂包囲網と呼ばれる包囲網は、かつて豊臣秀吉が江戸を取り囲むように構築した徳川包囲網と性質を同じくするものだった。違うのは、徳川包囲網が恣意的要素が強いのに対し、大坂包囲網は実戦を想定した軍事的要素が強いことである。

 姫路城も、この大坂包囲網の1つだ。現在の山陽新幹線の路線で考えるとわかりやすいが、姫路は大坂と山陽を結ぶ中間に位置する。西国の大名が兵を挙げ大坂城へ結集しようとしたなら、姫路城は鉄壁となりなんとしてもそれを阻止するのが役目だ。かくして、家康の威信にかけて財力と人力が惜しみなく投じられ、高い軍事力を誇る堅城が誕生したのである。

 軍事施設ならば実用性さえあれば見映えなどどうでもよさそうだが、絢爛豪華さで視覚的に牽制するのも城の重要な一面だ。美観と実用を兼ね備えた、強く美しい城こそ名城といえよう。とりわけ天守は、財力と権力の象徴。それまでタブー視されていた大坂城を凌駕する巨大な姫路城天守の登場は、豊臣方の大名だけでなく、領民に対しても徳川の新時代をアピールする絶好のシンボルタワーとなったに違いない。

美しさの裏側に隠された軍事要塞たる実力


二階建ての射撃場として機能する石打棚

 こうした役割を担って誕生した姫路城には軍事的な工夫が随所に散りばめられ、それをいまでも十分に堪能できる。

 美しい大天守も戦闘仕様だ。ひとたび大天守内に足を踏み入れれば、臨戦態勢は明らか。地階に台所の流し台や厠が完備されているのは籠城への備えの証。壁面の上部に鉄砲の煙を排出する排煙窓が見られることから、銃撃戦を想定していたことも一目瞭然だ。

 壁面には狭間という攻撃用の小窓を設置し、床面には石落としと呼ばれる狭間を設けてある。それだけでなく、破風の内側にできる空間は、破風の間と呼ばれる攻撃施設として活用。実は姫路城の大天守は美観を考慮したために2階から最上階までがずれているのだが、これにより生じた建築上の歪みを利用して、内部にできる空間や段差を攻撃装置として有効活用している。

 3階の南北と4階の四隅に設けられた、石打棚もその1つだ。建築上、窓が手の届かないほど高い場所に開いてしまうため、階段を設けて二階建ての射撃場とする驚きの工夫がされているのだ。

 今春の一般公開を機に内部公開されたのが、3階に設けられた武者隠し。壁の内部を利用してつくられた隠し部屋で、城内側に向けて狭間が設けられている。これは、落城後に光を求めて窓際に近づいた敵に対して不意打ちをしかけるものだろう。最後の最後まで、1人でも多く敵を倒そうという気迫が感じられる。城外側にも狭間がみられ、最期のときまで城外の敵への攻撃空間として機能することがわかる。

敵を翻弄し疲弊させる巧みな設計


巨大迷路のような通路で効率よく攻撃する

 城内の通路や建造物の配置にも注目だ。姫路城を訪れると、なかなか天守に到達しないうえに意外と坂道や段差がきつく、足が疲れるはずだ。それもそのはず、実戦を想定し、城兵が守りやすく敵兵は攻めにくいよう計算され尽くされているのだ。

 巨大迷路のように入り組んだ通路は、常に城兵の射程に入る秀逸な構造。これは専門用語で「横矢掛かり」というもので、いわば側面攻撃の工夫だ。通路や石垣を出っ張らせたり凹ませたりして折り曲げることで、敵に対する攻撃面を増やし、死角をなくし、また曲線道にすることで敵の足を止めてスムーズな進行を阻止できる。

 踏み面と蹴上げが不均一でリズミカルに歩けない石段や、足に負担のかかる緩やかな坂道も工夫の1つ。ようやく天守群が見えたと思えば180度ターンさせられたり、1列にならないと通り抜けられないような狭い城門でペースを乱されたり。半地下構造の暗い城門が道すがら現れるのも、敵を翻弄するしかけである。石垣をせりださせて進路の目隠しとしたり、カーブを利用して敵を行き止まりの空間へと誘導したり、視覚効果を利用した心理戦も存分に繰り広げられている。


 軍事施設としての一面に注目して歩けば、姫路城の違った一面に出会えるに違いない。姫路市では2015年度の年間入城者を180万人と見込んでいるが、200万人超えも想定されるという。当面の間は大混雑必至と思われるが、だからこそ大天守だけを目的にせず、そこに至るまでの道のりやしかけに着目し、軍事施設たる実力をじっくり堪能してみてはいかがだろうか。

(了)





図説・戦う城の科学
古代山城から近世城郭まで軍事要塞たる城の構造と攻防のすべて
萩原さちこ 著



【著者】萩原さちこ
1976年、東京都生まれ。青山学院大学卒。小学2年生で城に魅せられる。制作会社や広告代理店勤務などを経て、現在はフリーの城郭ライター・編集者。執筆業を中心に、メディア・イベント出演、講演、講座、ガイドのほか、「城フェス」実行委員長もこなす。おもな著書に『わくわく城めぐり』(山と渓谷社)、『戦国大名の城を読む』(SB新書)、『日本100名城めぐりの旅』(学研パブリッシング)、『お城へ行こう!』(岩波ジュニア新書)、『今日から歩ける 超入門 山城へGO!』(共著/学研パブリッシング)、『戦う城の科学』(サイエンス・アイ新書)など。公益財団法人日本城郭協会学術委員会学術委員。

公式サイト http://46meg.jp/
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