カルチャー
2015年6月23日
【戦う名城】日本一難攻不落といわれる熊本城
[連載] 戦う名城【3】
文・萩原さちこ
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絶対に突破できない設計


天守南東から東側にかけての田子櫓(たごやぐら)から平櫓までの櫓群も、すべて現存。壮大な石垣の上に現存櫓がずらりと並ぶ姿は圧巻で、古い形式の狭間や石落としも見ごたえがある

 「城」といって一般的に思い浮かぶのは、高くそびえ立つ天守だろう。そのため、天守が現存していないと城としての価値が下がるように思う傾向がある。しかし、城の見どころは天守だけではない。熊本城は、そのことを実感させられる名城だ。

 熊本城の特徴は、ひと言でいうと過剰防衛であること。城を取り巻く高石垣はその1つだ。本丸を中心に城を取り囲む石垣の高さは全国屈指で、とくに20mを超える本丸北側の高石垣は圧巻。まさに鉄壁のつくりといえる。1877(明治10)年の西南戦争で薩摩軍を一兵たりとも城内に侵入させなかった事実が、その堅城ぶりを証明している。

 絶対に突破できない複雑に折れ曲がる通路も、熊本城が難攻不落といわれるゆえんだ。石垣を大胆に屈曲させて、徹底的に敵の側面から攻撃をしかけられるように設計されている。特に必見なのは、竹の丸から天守方面へ向かう道のり。桝形虎口(ますがたこぐち)を連続させ、ジグザグと折れ曲がる。なんと四方への攻撃が可能な独立櫓(どくりつやぐら)まで建ち、いくつもの城門を突破しなければ侵入できない。城門や石垣上に建ち並ぶ櫓から集中攻撃されれば、死角も逃げ場もなく、本丸まで到達するのは不可能だ。城が理想とする、敵が攻めにくく城兵が守りやすい、最強の設計といえるのだ。

過剰防衛ともいえる複雑なトリプルシステム


複雑に折れ曲がる、熊本城の竹の丸から本丸への通路。石垣の上には櫓(やぐら)が建ち並び、敵は四方から攻撃を受けることになる

 城域を高石垣でぐるりと囲み、その上に櫓を並べて監視と攻撃スペースを確保し、そもそも城内へ侵入できない鉄壁を構築。そのうえ、虎口付近はこれでもかというほど徹底的に守りを強化している。それでも侵入された場合は、天守への通路上で石垣上の櫓から攻撃する。この過剰防衛ともいえる複雑なトリプルシステムが、熊本城の武器だ。

 これは、織田信長と豊臣秀吉がつくりだした、徹底抗戦を意識した城の典型例でもある。熊本城は、秀吉子飼いの武将だった加藤清正が、秀吉時代の築城スピリットを受け継ぎ、秀吉のもとで磨いた築城技術を結集させた集大成の城といえるのだ。

 やがて徳川家康は、こうした徹底抗戦の城からシフトチェンジし、むだを省いたシンプルかつ合理的な城を築く。城の構造に基準を設け、同一構造にすることで誰でも使いこなせるようにした。熊本城は築城した清正でなければフルに使いこなせないが、徳川の城は誰が配置されても十分活用できる。その背景には、豊臣時代の城が一国の防備を前提とした地域支配を前提にするのに対し、徳川幕府は統一政権であることが関係する。






図説・戦う城の科学
古代山城から近世城郭まで軍事要塞たる城の構造と攻防のすべて
萩原さちこ 著



【著者】萩原さちこ
1976年、東京都生まれ。青山学院大学卒。小学2年生で城に魅せられる。制作会社や広告代理店勤務などを経て、現在はフリーの城郭ライター・編集者。執筆業を中心に、メディア・イベント出演、講演、講座、ガイドのほか、「城フェス」実行委員長もこなす。おもな著書に『わくわく城めぐり』(山と渓谷社)、『戦国大名の城を読む』(SB新書)、『日本100名城めぐりの旅』(学研パブリッシング)、『お城へ行こう!』(岩波ジュニア新書)、『今日から歩ける 超入門 山城へGO!』(共著/学研パブリッシング)、『戦う城の科学』(サイエンス・アイ新書)など。公益財団法人日本城郭協会学術委員会学術委員。

公式サイト http://46meg.jp/
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