スキルアップ
2015年5月26日
なぜ人は「他人」と比べてしまうのか
[連載]
人と比べない生き方――劣等感を力に変える処方箋【1】
文・和田 秀樹
主流となっているコフートと再び脚光を浴びているアドラー
心理学という言葉を聞いて、皆さんがすぐに頭に思い浮かべる人物といえば、「エディプス・コンプレックス」で有名なジグムント・フロイト(1856~1939)や、「無意識」に代表される人間の深層心理を主に研究したカール・グスタフ・ユング(1875~1961)ではないでしょうか。
特にフロイトは、子どもの性的成長過程を「口唇期、肛門期、男根期、潜伏期、生殖期」というように5つの段階で示し、その中の男根期(3~6歳)を、他人と比較する成長段階としています。
この時期に男の子はほかの男の子とおちんちんの大きさを比べたり、おしっこの飛ばし合いをして遠くに飛ばすことができることを喜んだりします。この他人と比較する時期の終わりくらいに、今度はお父さんを倒してお母さんを奪い取りたいという願望が起こります。これが有名なエディプス・コンプレックスです。
ちなみに、女の子の場合はお母さんに憎しみを抱き、お父さんの愛情を得ようとします。つまり、異性の親に対して愛情を感じ、同性の親に対して敵対心を抱くのがこの時期だとフロイトは考えたのです。
他人と比べる男根期は精神が成熟していない時期で、それよりは精神が成熟してくれば同性の親に勝とうとし、さらにその潜伏期と言われる時期を越えて生殖期に入ると、見返りを求めない愛を与えることができるとフロイトは考えました。フロイトに言わせれば、他人と比較するのは精神の成熟していないダメなヤツということになります。
ところが現実には、精神が成熟しているはずの大人になっても、あるいは老人になっても、人は他人と自分を比べることで競争意識を持ち、ときに優越感を抱いたり、ときに劣等感を持ったり、ときに安心したり、ときに不安を感じたりしているのです。
だとすれば、フロイトが言う成熟した精神の持ち主などはほとんどいないと言ってもいいでしょう。言い換えると、フロイトが提唱した心理学的モデルは、現実とそぐわない点があるということになります。
実際、精神分析学の世界でも、フロイトの理論に対する批判は少なからずありました。 たとえばフロイトが打ち立てたエディプス・コンプレックスの理論は、基本的に健全な母子関係があって、立派な父親がいて、その父親が強すぎることから心の病が生じるというものですが、それに当てはまらない例が多々あったからです。
では、現在の精神分析学の世界ではどういう考え方が主流となっているかというと、ハインツ・コフート(1913~1981)という精神分析家の提唱した理論が特にアメリカでは一大主流となっているのです。
コフートの理論を簡単に述べると、「人は自己愛を満たしたがる生き物であり、自己愛が満たされると幸福を感じ、自己愛が満たされなかったり傷ついたりすると、心に問題が生じる」というものです。
自己愛とは簡単に言えば「自分が大事である」という心理のことで、自己愛を満たしたいという欲求とは、「自分を愛してほしい」「自分を評価してほしい」といったものです。人から愛されたり、評価されたり、あるいは人と比べて自分が勝っていると思えるときなどには自己愛が満たされ、人は幸福を感じます。逆に、人から愛されず、評価されず、人より負けていると感じるときなどは自己愛が満たされずに心が不安定になったりするというわけです。
もう一つ、最近になって日本で再び脚光を浴びているのが、アルフレッド・アドラー(1870~1937)の理論です。
アドラーは「人は普遍的に優越志向を持っている」と考えました。優越志向とは、簡単に言えば他人に勝ちたいという欲求です。
人と比べたり競ったりして自分が勝っているときは優越感を抱くことができますが、負けているときは劣等感を抱き、そのマイナスの心理状態がさらに複雑になると劣等コンプレックスになる─このような心理が子どもの時期に植え付けられるとアドラーは考えました。
こうして見てみると、コフートもアドラーも人と比べることや競争することを否定しているわけではなく、それどころか、自己愛を満たすにも優越性を感じるにしても、その前提に人と比べることや競争することをすでに当たり前のこととして認めているのがわかります。
現代においてフロイトの精神分析理論が死んだも同然のような状態になっている一方で、コフートの理論が主流となっていること、そしてアドラーの考え方が再び注目を浴びていることを考えると、いまの時代において人間の普遍的な精神性をよく捉えていると考えられているのは、フロイトの理論ではなく、コフートやアドラーの理論であると言うことができるでしょう。
なお、この連載のメインテーマである「比べること」については、6月16日発売の『人と比べない生き方――劣等感を力に変える処方箋』(SB新書)でも、アドラーやコフートの理論を交えながら解説しているので、あわせてご一読いただければ幸いです。
(了)
和田秀樹(わだひでき)
1960年大阪府生まれ。1985年東京大学医学部卒業。東京大学医学部附属病院精神神経科助手、米国カール・メニンガー精神医学学校国際フェローを経て、現在は精神科医。和田秀樹こころと体のクリニック院長。国際医療福祉大学教授(医療福祉学研究科臨床心理学専攻)。一橋大学経済学部非常勤講師(医療経済学)。川崎幸病院精神科顧問。著書に『比べてわかる! フロイトとアドラーの心理学』『自分が自分でいられるコフート心理学入門』(以上、青春出版社)、『自分は自分 人は人』『感情的にならない本』(以上、新講社)など多数。
1960年大阪府生まれ。1985年東京大学医学部卒業。東京大学医学部附属病院精神神経科助手、米国カール・メニンガー精神医学学校国際フェローを経て、現在は精神科医。和田秀樹こころと体のクリニック院長。国際医療福祉大学教授(医療福祉学研究科臨床心理学専攻)。一橋大学経済学部非常勤講師(医療経済学)。川崎幸病院精神科顧問。著書に『比べてわかる! フロイトとアドラーの心理学』『自分が自分でいられるコフート心理学入門』(以上、青春出版社)、『自分は自分 人は人』『感情的にならない本』(以上、新講社)など多数。