スキルアップ
2015年6月19日
どうせ競争するなら建設的な競争がいい
[連載]
人と比べない生き方――劣等感を力に変える処方箋【3】
文・和田 秀樹
健全な競争のない社会は歪みやすい
昭和30年代、40年代の日本は、みんなが熾烈な受験競争に参加していた時代です。小中高と猛烈に勉強し、東大などの一流大学に行く人もいれば、学力はあっても経済的な理由から高卒で社会に出るという人も多くいて、そういう人たちが同じ会社の中で、片方は会社の代表として、片方は労組の代表となって争うようなこともありました。
一流大卒と高卒では学歴の面では大きな違いがありますが、みんな厳しい学力競争を経験してきた人たちですから、土台となる基礎学力はともに高く、高卒で一流企業の入社試験に勝ち抜き、ましてや労組のトップになるような人は、しっかりとした学力が背景にあるので、教養や知的レベルにおいても、仕事の能力においても一流大卒とそんなに大きな差はなかったはずです。ですから、会社の代表に対して労組の代表は堂々と渡り合うことができたのです。
日本人よりも日本に詳しいと言われるロナルド・ドーアというイギリス人の社会学者がいます。私は高校時代から彼の本を読んでいたのですが、ドーアは昔は日本の学歴社会をボロクソに批判していたのです。ところが、そのドーアが昔の学歴社会のほうがいまの学歴社会よりはるかに良かったというような意味のことを書いています。
なぜ昔の学歴社会を評価するかというと、当時は、日本の学歴社会は比較的広く門戸が開かれていたので、勝ち組の人間も負け組の人間も、その成育環境に大きな差がなかったうえに、前述のように勝ち組も負け組も、ともに厳しい競争にさらされていたので、その能力に大きな差がなかったと考えるからです。
現実問題として、熾烈な受験競争が批判され、たとえば学校群などという形で名門公立高校が落ち目になってくる時期から、徐々に中学校に入る前ぐらいの時点で差が生まれるようになりました。エリートコースを進む人は、小学校から猛烈に勉強して中高一貫校に入って一流大学に進むわけですが、そうでない人はだんだん薄くなる公立小学校のカリキュラムで、しかもろくに競争を経験しないまま中学校に進むことになります。
さらに、普通の公立高校にしか入れなかった子は、二流三流の大学に進みます。中学のときから学力差が広がるので、社会に出るころには、学力や教養のレベルに大きな差がつくことになります。エリートコースを歩む人たちに対して労働者の側にいる人たちは、とても勝てないと思うような状況になってしまうのです。
団塊の世代では、猛烈な受験勉強をしたのに、志望の大学に行けた人はわずかでした。勉強をしていたのに学歴が伴わないと、受験の成否は、しょせん遺伝だという考えも広まります。
すると彼らが親の世代になると、最初から「しょせんエリートには勝てない」と思い込んでしまう可能性が高くなるわけです。そして、現実にエリート層の人間は、いくらマスコミが受験批判をしても、子どもにしっかり中学受験をさせて勉強もさせるので、子どもも高学歴になる確率は高いものになります。かくして学歴の世襲化が進みます。
また、このように早い時点から、行く学校も違うし、生活環境も違うという状況になるとエリートはエリートで、一般の労働者を自分たちとは違う世界の人間として見るようなところが出てきます。自分たちがしんどい思いをして、中学受験をしていたころに、ゆとり教育でろくに勉強をしなかった怠け者のなれの果てと思うところがあるのです。
たとえば一時期、生活保護に厳しい批判の目が向けられたことがありましたが、テレビを見ると、エリートコースを歩んできたコメンテイターたちが「働かないくせにお金をもらっている」「贅沢をしている」などと批判している姿が目に入りました。
年収数千万円クラスの彼らエリートが、生活保護で暮らさなければならない人たちの ことをどれだけ知っているのか、はなはだ疑問です。
私の患者さんの中には、うつ病や統合失調症などで働くことができず、月に10万円程度の生活保護費でギリギリの生活をしている人も少なくありませんが、そういう現実を知ろうとせずに容赦なく批判するのは、一般社会の底辺に近いところで生きている人たちを小さいころからほとんど見ておらず、別世界の人間だと見ているからだと思います。そして、世の中が弱者に厳しく勝者に有利な、アメリカ型の競争社会になっても、それは当然の姿だと思ってしまうのです。
このように見てくると、競争社会が弱者に厳しい現実をもたらす一面が浮かび上がってくるわけですが、あくまでもこれは健全な競争、建設的な競争になっていないということであって、競争そのものが悪いというわけではないのです。
ただし、競争する人が減ってきていることはたしかなようです。
和田秀樹(わだひでき)
1960年大阪府生まれ。1985年東京大学医学部卒業。東京大学医学部附属病院精神神経科助手、米国カール・メニンガー精神医学学校国際フェローを経て、現在は精神科医。和田秀樹こころと体のクリニック院長。国際医療福祉大学教授(医療福祉学研究科臨床心理学専攻)。一橋大学経済学部非常勤講師(医療経済学)。川崎幸病院精神科顧問。著書に『比べてわかる! フロイトとアドラーの心理学』『自分が自分でいられるコフート心理学入門』(以上、青春出版社)、『自分は自分 人は人』『感情的にならない本』(以上、新講社)など多数。
1960年大阪府生まれ。1985年東京大学医学部卒業。東京大学医学部附属病院精神神経科助手、米国カール・メニンガー精神医学学校国際フェローを経て、現在は精神科医。和田秀樹こころと体のクリニック院長。国際医療福祉大学教授(医療福祉学研究科臨床心理学専攻)。一橋大学経済学部非常勤講師(医療経済学)。川崎幸病院精神科顧問。著書に『比べてわかる! フロイトとアドラーの心理学』『自分が自分でいられるコフート心理学入門』(以上、青春出版社)、『自分は自分 人は人』『感情的にならない本』(以上、新講社)など多数。