スキルアップ
2015年6月4日
韓国が反日にこだわる本当の理由は「日中に挟まれた地理」にある
[連載]
「逆さ地図」で読み解く世界情勢の本質【6】
文・松本利秋
竹島問題を歴史問題としたい韓国
このように見てくると、竹島は自らが勝ち取った韓国独立の象徴であり、竹島の領有が崩れると、70年間にわたる韓国の基本的な理念が消滅するという実にきわどい状態なのだ。
竹島がこのような状況下にあることが原因で、時の政権が危機的状況に陥った時、問題の本質から国民の目をそらすために政治利用されてきた。その典型例が2012年(平成24年)8月10日に、当時の李明博(イミョンバク)大統領の竹島上陸だ。
そして14日のロンドンオリンピックのサッカー3位決定戦で、日本に勝った韓国代表チームの朴鐘佑(パクチョンウ)選手が、政治的活動禁止のオリンピックの場において「独島(竹島)は我らが領土」とアピールした。
この2つの出来事は、これまで長い間積み上げてきた日韓関係の根本を揺るがす事件であり、後者はオリンピックの精神そのものを踏みにじったことになる。
また李明博大統領は、同じ14日に「日王(天皇陛下)が韓国を訪問したいのなら、独立運動で亡くなった方々に膝を折って心からの謝罪をする必要があると、日本側に伝えた」と、天皇が韓国訪問を切望しているかのような事実無根のことを前提にした、一国の大統領としての見識も矜持(きんじ)も欠いた発言をしたのである。
だが実際には、李大統領が過激な言葉を使っているため、さすがの韓国メディアもその内容の意訳を報道し、日本のマスコミもそれに倣ったというのが真相だ。
これらの行為に対して、日本政府は駐韓大使を一時帰国させ、親書を送って抗議する旨を伝えようとしたが、韓国は受け取りを拒否した。これに対して日本のマスコミは、史上初の出来事と大騒ぎしたが、実は韓国が日本の国書受け取りを拒否した前例は存在する。
明治新政府成立直後の1868年に、日本政府は新しい体制のもとで国交を結ぶことを申し入れたが、当時の李朝朝鮮は鎖国をし、清朝中国を宗主国とする冊封(さくほう)体制にあった。
朝鮮側は国書の中に使われている「皇」や「奉勅」は、清国の王朝のみに許された言葉であるとして受け取りを拒否している。2012年に李明博大統領が「日王」という言葉を使ったのも、この故事に倣ったものだと考えてもあながち間違いではないと言えるだろう。
明治初年の、朝鮮の国書受け取り拒否事件をきっかけに、日本国内では西郷隆盛等から「征韓論」が唱えられ、ひいては福沢諭吉の「脱亜入欧」論に繋がっていく。当時の日本政府の申し入れは、朝鮮の鎖国体制を解き、清国に朝貢してお返しを貰うという冊封体制から、近代的な貿易が行なえるような新しい日朝関係を築こうとしたものであった。
竹島問題は韓国のアイデンティティーの問題と深く絡まり合っているが、日本人にとっては究極のところ、ハーグの国際司法裁判所で、近代国際法に照らし合わせて決着を付ければ済む問題であろう。
日本人の法意識からすれば、さまざまな意見があっても法的手続きがきちんとしていれば、最終的には竹島が韓国領になっても承認せざるを得ないとするだろう。つまり、日本人にとって、竹島で起こっていることは領土に関する揉め事であり、国際法という客観的な基準に準拠することが大前提である。しかし、韓国のこれに応じる気配がまったくない態度に、日本人が疑念を持つのは自然なことだろう。
しかし韓国は、竹島領有を歴史問題と絡めて捉えている。李明博大統領の天皇に対する発言もその典型例だ。歴史に対する認識は客観的事実を積み重ねることを大前提とするが、それをナショナル・ヒストリーとして物語にする過程で、まるで正反対となることも多々ある。それ自体は近代的なナショナリズムを基礎とした、国民国家形成の過程ではいたし方のないことでもある。
従って、「竹島」を歴史認識の問題として捉えると、永遠に決着のつかない問題となるわけだ。これによって日韓の関係がギクシャクし、日本人の間に嫌韓意識が強まり、韓国人の間に反日の感情が高まり、互いの間に言い知れぬ不安と苛立ちが募るという事態は不毛だと言えよう。と同時に、互いの本当の姿を見失ってしまうことになりかねない危険性をはらんでいる。
なお、「逆さ地図」で世界情勢を読み解く意義については、5月16日発売の『「逆さ地図」で読み解く世界情勢の本質』(SB新書)で、カラーの「逆さ地図」付きで解説している。ぜひご一読いただきたい。
(了)
松本利秋(まつもととしあき)
1947年高知県安芸郡生まれ。1971年明治大学政治経済学部政治学科卒業。国士舘大学大学院政治学研究科修士課程修了、政治学修士、国士舘大学政経学部政治学科講師。ジャーナリストとしてアメリカ、アフガニスタン、パキスタン、エジプト、カンボジア、ラオス、北方領土などの紛争地帯を取材。TV、新聞、雑誌のコメンテイター、各種企業、省庁などで講演。著書に『戦争民営化』(祥伝社)、『国際テロファイル』(かや書房)、『「極東危機」の最前線』(廣済堂出版)、『軍事同盟・日米安保条約』(クレスト社)、『熱風アジア戦機の最前線』(司書房)など多数。
1947年高知県安芸郡生まれ。1971年明治大学政治経済学部政治学科卒業。国士舘大学大学院政治学研究科修士課程修了、政治学修士、国士舘大学政経学部政治学科講師。ジャーナリストとしてアメリカ、アフガニスタン、パキスタン、エジプト、カンボジア、ラオス、北方領土などの紛争地帯を取材。TV、新聞、雑誌のコメンテイター、各種企業、省庁などで講演。著書に『戦争民営化』(祥伝社)、『国際テロファイル』(かや書房)、『「極東危機」の最前線』(廣済堂出版)、『軍事同盟・日米安保条約』(クレスト社)、『熱風アジア戦機の最前線』(司書房)など多数。