カルチャー
2015年6月9日
【戦う名城】63年ぶりの国宝に!ゲリラ戦仕様の「松江城」
[連載]
戦う名城【2】
文・萩原さちこ
地階の井戸、寄木柱と隠し狭間も見逃せない
天守の内部は薄暗く無骨で質素だが、独特のつくりと雰囲気がただよう。クランクが連続する付櫓だけでなく、ロフトのような踊り場や直進できないようにずらしたらせん階段からも、死角をなくして攻撃面をできるだけ増やそうと工夫しているのがわかる
松江城が築かれのは築城の最盛期にあたり、不穏な情勢下で諸大名が習得した技術をフル活用して強靭な城を建てた時期だ。また、堀尾吉晴は豊臣秀吉の家臣団の中でも最古参の重臣で、ひとたび戦場に立てば勇敢に敵に立ち向かい武功を上げた人物でもある。松江城の設計は、さすがは実戦経験の豊富な武将が築いた城と唸らせられるものがある。
天守の内部は薄暗く、無骨という言葉がぴったりの質素な雰囲気。しかし全国のほかの城にはない独特のつくりと雰囲気が漂う。クランクが連続する付櫓だけでなく、ロフトのような踊り場や直進できないようにずらした、らせん階段からも、死角をなくして攻撃面をできるだけ増やそうと工夫しているのがわかる。
内部の必見ポイントは、松の心柱を板で覆って金具で留めた寄木柱。材木不足を補う苦肉の策で、見た目は継ぎ接ぎで不格好だが力学的には強度が高まる。
目を見張る城下の防衛力
松江城は、本丸・二の丸・三の丸を内堀で囲み、その周辺に重臣・上級家臣の屋敷を配置し、それを外堀が囲む構造だ。さらにその外側にコの字型に町人街が置かれる。
1615(元和元)年の武家諸法度により築城工事を中断したと思われ、北側は天守の戦闘仕様とは一変して無防備に感じられる。しかしながら、堀尾氏時代の構造を『堀尾期松江城下町絵図』から読み解くと、城の近くは碁盤割りで整然としながら、外周は見通しがきかないように袋小路・丁字型・カギ型となっている。敵の進路を遮るよう、寺社が外堀をぐるりと取り囲んでいるのも特徴だ。城下町まで目を向けると、松江城の強さがわかるだろう。
(了)
【著者】萩原さちこ
1976年、東京都生まれ。青山学院大学卒。小学2年生で城に魅せられる。制作会社や広告代理店勤務などを経て、現在はフリーの城郭ライター・編集者。執筆業を中心に、メディア・イベント出演、講演、講座、ガイドのほか、「城フェス」実行委員長もこなす。おもな著書に『わくわく城めぐり』(山と渓谷社)、『戦国大名の城を読む』(SB新書)、『日本100名城めぐりの旅』(学研パブリッシング)、『お城へ行こう!』(岩波ジュニア新書)、『今日から歩ける 超入門 山城へGO!』(共著/学研パブリッシング)、『戦う城の科学』(サイエンス・アイ新書)など。公益財団法人日本城郭協会学術委員会学術委員。
公式サイト http://46meg.jp/
1976年、東京都生まれ。青山学院大学卒。小学2年生で城に魅せられる。制作会社や広告代理店勤務などを経て、現在はフリーの城郭ライター・編集者。執筆業を中心に、メディア・イベント出演、講演、講座、ガイドのほか、「城フェス」実行委員長もこなす。おもな著書に『わくわく城めぐり』(山と渓谷社)、『戦国大名の城を読む』(SB新書)、『日本100名城めぐりの旅』(学研パブリッシング)、『お城へ行こう!』(岩波ジュニア新書)、『今日から歩ける 超入門 山城へGO!』(共著/学研パブリッシング)、『戦う城の科学』(サイエンス・アイ新書)など。公益財団法人日本城郭協会学術委員会学術委員。
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