スキルアップ
2015年6月22日
国境離島防衛の教訓は台湾・金門島が教えてくれる
[連載] 「逆さ地図」で読み解く世界情勢の本質【8】
文・松本利秋
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中国の侵攻をことごとく撥ねつけた台湾の小さな島


 島を巡る争いで金門島の歴史は参考になる。中国はこれまで二度にわたって金門島を奪取するために軍事攻撃を仕掛けている。

 一度目は1949年である。この年の10月1日、国民党軍との内戦を制した共産党が中華人民共和国を設立した。台湾に逃げ込んだ国民党軍だが、中国が支配する場所から最短2.1キロメートルしか離れていない金門島を実効支配していた。

 10月25日、中国軍は金門島に1万9000名の兵力で上陸作戦を敢行。中国軍に上陸用舟艇等はほとんどなく、民間の漁船等を徴用して兵員を送り込んだ。迎え撃つ台湾側の兵力は約4万、海軍力で優った台湾の国民党軍は大陸からの補給を絶ち、島の内陸部に攻め込んだ中国軍は武器弾薬の補給が乏しく、国民党軍に撃破されてしまった。

 中国軍の戦死者3873人、捕虜5175人、台湾側の戦死者1267人、負傷者1982人。金門島にある戦史館にはその時の模様がつぶさに展示されている。

 二度目は1958年8月である。中国軍は対岸のアモイから金門島に砲撃を仕掛けた。砲撃は8月23日夕刻から始まり、一日に5万7000発の砲弾を打ち込む激しさであった。砲撃は10月5日まで、44日間連続したが、その間発射した砲弾は全部で約48万発で、台湾側の死傷者は440名余に上った。

 中国軍は「人道的理由」により砲撃を一旦中止すると発表したが、本当は9月に入って、台湾軍に米軍から最新鋭の八インチ榴弾砲(りゅうだんほう)が届き、アモイに向けて本格的な反撃が始まり、効果が上がってきたからであった。台湾軍はその勢いに乗ってアモイ逆上陸をも仄(ほの)めかして中国軍を威嚇。この情勢に中国政府が躊躇したというのが本音のところである。

 その後、金門島に対する砲撃は散発的ではあるが、1979年まで続くのである。私自身も1996年に、アモイの砲台を取材したが、砲はコンクリートで覆われ、堅牢な造りであった。この時の感想は、中国は攻撃当初は勢いよく飽和攻撃(攻撃側が攻撃を仕掛ける際に、攻撃目標の持つ防御のための処理能力の限界を超えた量で攻撃すること)を仕掛けてくるが、これを凌いで反転攻勢をかければ、実にあっけなく萎(しぼ)んでしまう。だが問題は、面子を保つために、しつこくやってくるということである。

 金門島攻防戦の教訓を尖閣に当て嵌めて見れば、単純な結論が導き出される。それは、中国軍にとって、金門島までのたった2.1キロメートルしかない海が、とてつもなく大きい溝になっているということである。

 古来ランドパワーに頼ってきた国民性は、容易にシーパワーへの変換ができない。中国の行動に対応するには、これらのことを十分に組み込んで、思考のパターンを掴んだ上で、戦略的な行動を採らざるを得ないのだ。
 それには中国の地政学的な位置付けを理解し、居丈高な恫喝の裏にある、ある種の怯えを見ていく必要があるだろう。

 なお、金門島に関する戦いでは、実は日本人が活躍していた。詳細については、7月16日発売の『日本人だけが知らない「終戦」の真実』(SB新書)でも取り上げている。また、金門島を始めとした国境離島を巡るアジア情勢については、拙著『「逆さ地図」で読み解く世界情勢の本質』(SB新書)で、カラーの「逆さ地図」付きで解説している。併せて、ご一読いただきたい。

(了)





「逆さ地図」で読み解く世界情勢の本質
松本利秋 著



松本利秋(まつもととしあき)
1947年高知県安芸郡生まれ。1971年明治大学政治経済学部政治学科卒業。国士舘大学大学院政治学研究科修士課程修了、政治学修士、国士舘大学政経学部政治学科講師。ジャーナリストとしてアメリカ、アフガニスタン、パキスタン、エジプト、カンボジア、ラオス、北方領土などの紛争地帯を取材。TV、新聞、雑誌のコメンテイター、各種企業、省庁などで講演。著書に『戦争民営化』(祥伝社)、『国際テロファイル』(かや書房)、『「極東危機」の最前線』(廣済堂出版)、『軍事同盟・日米安保条約』(クレスト社)、『熱風アジア戦機の最前線』(司書房)など多数。
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