カルチャー
2016年4月1日
国会議員の数はむしろ増やしたほうがいい! ただし...
[連載] 自分の半径5mから日本の未来と働き方を考えてみよう【4】
「ゲス不倫」議員などではない志の高い議員を増やす秘策!
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ポピュリズムに走る日本の政治家


島澤 役所も2~3年で部署や担当が変わっていくので、専門性もなかなか高まらないし、5年10 年のスパンで考えることができなくなります。

出口 短期でコロコロと変わるのはよくないのです。全体をマネジメントしようと思ったら、1年や2年では到底できませんから。歴史を見ても、在位期間が3年未満で優れた業績を残した名君はまず存在しません。

島澤 政治の世界でも、小選挙区制で議席が簡単にひっくり返りやすくなっているので、政治家たちも短期的な目標に目を向けるようになっています。もうひとつこれはまだ仮説なのですが、高齢化の進行とともに、短期的な成果を求める声が強くなってきているのではないかと考えています。
 つまり、日本の有権者の平均年齢が高齢化してきていて、中長期的な目標を掲げても実現した頃に自分がこの世にいないと我慢した甲斐がないので、自分が生きている間に報酬を得たいと考える方が多くなったのではないかということです。

出口 安倍政権は政権基盤が安定しているので、税金を増やして国の借金を減らす、「中負担・中給付」にして負担と給付のバランスを整えるなど、日本の将来を見据えた思い切った取り組みができるはずです。ところが、実際に行っているのは「貧困世帯にお金を渡す」「軽減税率を導入して税負担を和らげる」など、大衆受けしそうなものばかりです。
 大衆におもねる政治体制を「ポピュリズム」と言いますが、日本の政治家は自分たちの政権や国会議員という職を守るため、ポピュリズムに走りがちです。「小負担・中給付」という「負担が給付」の大原則を無視した政策を続けているのも、「負担を増やす政策を掲げたら、選挙に負けて政権も議席も失ってしまうかもしれない」と恐れているからです。

島澤 日本の議員は国会議員も地方議員も報酬が高いですから、議員のイスを手放したくないのですね。

出口 日本の公務員数が少ないというのは本の中でお話ししましたが、国会議員数も人口あたりで比較するとOECD加盟国の中で3番目に少ない。日本では衆議院議員の定数を削減する話し合いが行われているので、国会議員の数が多いように思われていますが、実際はOECD加盟国の中では少ないのです。
 しかし、報酬は高いので、国の将来よりも直近の選挙ばかりを気にする傾向が生まれます。仮に議員の数を2倍に増やし、報酬を半分以下に下げれば、志の高い議員がもっと増えるのではないでしょうか。

島澤 まったく同感です。国会議員の定数配分の問題がありますが、あれなども国会議員を減らすのではなく増やせばいいと思います。そのかわり議員歳費の総額は一定にしておくのです。そうすれば国会議員が増えても国民の負担は変わりませんし、国民の声を拾いやすくなります。当然ですが、ポピュリズムは、単に「政治家が悪い」で済ませてはいけない問題です。

出口 日本のポピュリズムは、メディアが増幅させている面が大きい気がします。例えば、日露戦争では日本がロシアから大金星を挙げましたが、日本海海戦の頃には国力を相当消耗していたので、アメリカの仲介で戦争を終わらせたのは大正解だったのです。ところが、当時のメディアはその辺の事情を国民に知らせなかったので、賠償金が獲得できないとわかると、国民世論の非難が高まり、ついには「日比谷焼き討ち事件」と呼ばれる大暴動が起きてしまいました。
 歴史を振り返っても、ポピュリズムで国民を煽って良いことが起こった例はひとつもないので、情報公開をして市民のリテラシーを高め、本当のことをきちんと伝えることが何より大事です。日露戦争のときも、当時のメディアが日本の現状を正確に伝えていれば、国民もあのような愚かな行動には出なかったはずです。
 でもメディアが愚かだとポピュリズムになってしまうので、市民が1人ひとりが勉強してリテラシーを上げ、メディアの報道を冷静に受けとめるリテラシーを上げないといけません。

(了)





自分の半径5mから日本の未来と働き方を考えてみよう会議
出口治明・島澤諭 著



出口治明(でぐち・はるあき)
1948年、三重県生まれ。京都大学法学部卒業。1972年、日本生命保険相互会社入社。日本興業銀行(出向)、生命保険協会財務企画専門委員会委員長(初代)、ロンドン事務所長、国際業務部長などを経て、2006年に日本生命保険相互会社を退職。東京大学総長室アドバイザー、早稲田大学大学院講師などを経て、現在、ライフネット生命保険株式会社・代表取締役会長兼CEO。

島澤諭(しまさわ・まなぶ)
東京大学経済学部卒業。1994年、経済企画庁(現内閣府)入庁。2001年内閣府退官。秋田大学教育文化学部准教授等を経て、2015年4月より中部圏社会経済研究所経済分析・応用チームリーダー。この間、内閣府経済社会総合研究所客員研究員、財務省財務総合政策研究所客員研究員等を兼任。専門は世代間格差の政治経済学。
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