ビジネス
2013年11月6日
伝説の投資家が語る
混迷する市場の見極め方
混迷する市場の見極め方
『冒険投資家ジム・ロジャーズのストリート・スマート』より
私は『冒険投資家ジム・ロジャーズ世界大発見』にエジプトを車で回ったときのことをこう書いた。
「さらに暗い話だが、ホスニ・ムバラク政権がなぜ巷で嫌われているのかがわかった。政府はあらゆるところにスパイを放っていて、どんな不満の芽も摘み取ってしまうのだ。
(中略)
70代になったムバラクが、権力にしがみついていられるのも米国のおかげである。彼に対する怒りは津々浦々に満ち溢れており、彼が放逐されるか死ぬかすれば、そのうち中東最大のこの国に深刻な危機が訪れるだろう。(中略)飛行機でカイロへ飛び、タクシーでピラミッドに行って、バスでルクソールへ乗り入れていては、こうしたことはまったくわからない」
これは2000年秋のことだ。その後、エジプト民衆は立ち上がり、2011年ムバラクは失脚した。独裁者が長期に政権を握っている国でも、今では国民がインターネットやさまざまなソーシャルメディアで情報を発信するようになっている。人びとはとめどなく流される情報に接し、政治のあり方について絶えず意見交換している。大衆は街角に飛び出し不満をぶつけるようになったのである。だが、この動きに火をつけたのは政治問題というよりも経済問題だ。インフレ、失業、家計の圧迫、そして何よりも見過ごせないのが食品の値上がりだ。大衆はそういったことに憤りを感じているのである。1989年春の天安門事件にしても、そもそもの発端はインフレと物価上昇に対する抗議だった。学生が「民主主義」を叫び始めたのは西側諸国のマスコミがやって来てからのことだ。過去数十年エジプト政権をバックアップしてきたアメリカの国務長官ヒラリー・クリントンが、政治的に虐げられたエジプト国民のために戦うかどうかなど、当のエジプト人にとってはどうでもいいことであった。彼らの心配の種はパンの値段が暴騰していること、自分たちの力ではそれをどうにもできないこと、あるいは職を見つけられないことなのである。
これは中東で起きていることだが、今後はほかの地域でも起こってくるだろう。ヨーロッパ各地でも同様のことが起きているし、アメリカでもそろそろ始まりかけている。だが、こういう社会不安は何も今回が初めてではない。
1894年、アメリカは建国以来最悪の不況に見舞われて2年目に入っていた。この年の3月、オハイオ州マッシロンの裕福な実業家ジェイコブ・S・コクシーは、経済危機に手を打たない政府に抗議し、大がかりな公共事業による雇用創出を議会に訴えるため、人びとを率いてワシントンまでデモ行進をした。当時は1893年の恐慌によってもたらされた4年間の不況のクライマックスともいうべき時期で、アメリカの労働人口のなんと5分の1が失業中だった。この不況中に倒産した事業は約1万5000、その中には500以上の銀行、ユニオン・パシフィック、ノーザン・パシフィック、アッチンソン・トピカ・サンタフェといったアメリカの主要鉄道会社も含まれていた。
その春、アメリカ各地の失業者は数千人単位のグループを結成し、ワシントンをめざしてデモ行進に出た。コクシーが率いていた「コクシーズ・アーミー(Coxey's Army)」もその1つで、首都にたどり着いたのは彼のグループだけであった。5月1日、ワシントンに着くやいなや、コクシーを含む500名のデモ隊は警察の攻撃を受け、警棒で叩かれて国会議事堂の芝生から追い払われた。コクシーは国会議事堂で演説をぶつつもりでいたが、デモ隊は散り散りになり、コクシーとその部下たちは逮捕された。コクシーは、政府が彼に問うことのできた唯一の罪、議事堂の芝生への不法侵入によって20日間拘留された。
「さらに暗い話だが、ホスニ・ムバラク政権がなぜ巷で嫌われているのかがわかった。政府はあらゆるところにスパイを放っていて、どんな不満の芽も摘み取ってしまうのだ。
(中略)
70代になったムバラクが、権力にしがみついていられるのも米国のおかげである。彼に対する怒りは津々浦々に満ち溢れており、彼が放逐されるか死ぬかすれば、そのうち中東最大のこの国に深刻な危機が訪れるだろう。(中略)飛行機でカイロへ飛び、タクシーでピラミッドに行って、バスでルクソールへ乗り入れていては、こうしたことはまったくわからない」
これは2000年秋のことだ。その後、エジプト民衆は立ち上がり、2011年ムバラクは失脚した。独裁者が長期に政権を握っている国でも、今では国民がインターネットやさまざまなソーシャルメディアで情報を発信するようになっている。人びとはとめどなく流される情報に接し、政治のあり方について絶えず意見交換している。大衆は街角に飛び出し不満をぶつけるようになったのである。だが、この動きに火をつけたのは政治問題というよりも経済問題だ。インフレ、失業、家計の圧迫、そして何よりも見過ごせないのが食品の値上がりだ。大衆はそういったことに憤りを感じているのである。1989年春の天安門事件にしても、そもそもの発端はインフレと物価上昇に対する抗議だった。学生が「民主主義」を叫び始めたのは西側諸国のマスコミがやって来てからのことだ。過去数十年エジプト政権をバックアップしてきたアメリカの国務長官ヒラリー・クリントンが、政治的に虐げられたエジプト国民のために戦うかどうかなど、当のエジプト人にとってはどうでもいいことであった。彼らの心配の種はパンの値段が暴騰していること、自分たちの力ではそれをどうにもできないこと、あるいは職を見つけられないことなのである。
これは中東で起きていることだが、今後はほかの地域でも起こってくるだろう。ヨーロッパ各地でも同様のことが起きているし、アメリカでもそろそろ始まりかけている。だが、こういう社会不安は何も今回が初めてではない。
1894年、アメリカは建国以来最悪の不況に見舞われて2年目に入っていた。この年の3月、オハイオ州マッシロンの裕福な実業家ジェイコブ・S・コクシーは、経済危機に手を打たない政府に抗議し、大がかりな公共事業による雇用創出を議会に訴えるため、人びとを率いてワシントンまでデモ行進をした。当時は1893年の恐慌によってもたらされた4年間の不況のクライマックスともいうべき時期で、アメリカの労働人口のなんと5分の1が失業中だった。この不況中に倒産した事業は約1万5000、その中には500以上の銀行、ユニオン・パシフィック、ノーザン・パシフィック、アッチンソン・トピカ・サンタフェといったアメリカの主要鉄道会社も含まれていた。
その春、アメリカ各地の失業者は数千人単位のグループを結成し、ワシントンをめざしてデモ行進に出た。コクシーが率いていた「コクシーズ・アーミー(Coxey's Army)」もその1つで、首都にたどり着いたのは彼のグループだけであった。5月1日、ワシントンに着くやいなや、コクシーを含む500名のデモ隊は警察の攻撃を受け、警棒で叩かれて国会議事堂の芝生から追い払われた。コクシーは国会議事堂で演説をぶつつもりでいたが、デモ隊は散り散りになり、コクシーとその部下たちは逮捕された。コクシーは、政府が彼に問うことのできた唯一の罪、議事堂の芝生への不法侵入によって20日間拘留された。
【著者】JIM ROGERS(ジム ロジャーズ)
クォンタム・ファンドの共同設立者。37歳で引退後はコロンビア大学で金融論の教授を一時期務め、またテレビやラジオのコメンテイターとして世界中で活躍していた。2007年、『21世紀はアジアの世紀だ』との信念から一家でシンガポールに移住。著書に『冒険投資家ジム・ロジャーズ 世界バイク紀行』、『冒険投資家ジム・ロジャーズ世界大発見』、『ジム・ロジャーズが語る商品の時代』『人生と投資で成功するために娘に贈る13の言葉』、『ジム・ロジャーズ中国の時代』等がある。
【訳者】神田由布子(かんだ ゆうこ)
東京外国語大学卒。訳書に『U2ダイアリー終わりなき旅の記録』『カルト・ストリートウェア』(ブルース・インターアクションズ)等。
クォンタム・ファンドの共同設立者。37歳で引退後はコロンビア大学で金融論の教授を一時期務め、またテレビやラジオのコメンテイターとして世界中で活躍していた。2007年、『21世紀はアジアの世紀だ』との信念から一家でシンガポールに移住。著書に『冒険投資家ジム・ロジャーズ 世界バイク紀行』、『冒険投資家ジム・ロジャーズ世界大発見』、『ジム・ロジャーズが語る商品の時代』『人生と投資で成功するために娘に贈る13の言葉』、『ジム・ロジャーズ中国の時代』等がある。
【訳者】神田由布子(かんだ ゆうこ)
東京外国語大学卒。訳書に『U2ダイアリー終わりなき旅の記録』『カルト・ストリートウェア』(ブルース・インターアクションズ)等。