カルチャー
2013年11月8日
中学時代のエピソードから知る
マー君(田中将大)の強さのヒミツ
『一流の習慣術』より
  • はてなブックマークに追加

無敗神話が崩れた日本シリーズ第6戦。160球の完投負けから開けた第7戦の9回に登板し、見事に胴上げ投手となったマー君こと田中将大。彼の強さのヒミツは、イチロー選手にも通じる一流の習慣術にあった。マー君が中学時代に所属した野球チーム「宝塚ボーイズ」の監督・奥村幸治さんが語るエピソードから、その片鱗を見ていきましょう。


負けず嫌いを継続する


 忘れもしません。

 将大は、宝塚ボーイズの練習初日にグローブを忘れてきました。私の前で「すいません、忘れました」といって涙を流したのです。先に泣かれてしまっては、私ももう怒れません。自宅が練習グラウンドから自転車で10分くらいの距離でしたから、お父さんが慌ててグローブを取りに戻りました。

 そういうわけで第一印象は必ずしも良くなかったのですが、グローブを忘れた分を取り返そうとするように、初日から全力で頑張る将大の負けず嫌いな部分を見て「この子、いけるかもしれない」と思うようになりました。

 イチロー選手のように野球がとことん好きになれば、負けず嫌いになって当然です。みんなと同じ野球をやっていて、そこでトップに立ってプロになろうとするには、誰にも負けないという強い意志が必要になります。それは相手との勝負でもあり、昨日の自分との勝負なのです。

 あとはその負けず嫌いの気持ちをどれだけ継続できるかです。

 そんなある日、将大の負けず嫌いに火がつく出来事がありました。

 中学2年生の夏、ボーイズリーグ全国大会、兵庫県予選の決勝戦に将大は出場します。この試合に勝てば全国大会出場が決まります。そのときの3年生に将大をすごく可愛がっている村田という先輩がいて、将大もその村田のことを実の兄のように慕っていました。打順は村田が4番、将大が5番でした。

 試合は最終回の裏まで来て2対3で負けています。2アウトですが、逆転のランナーが2塁、3塁にいて、打順は4番の村田に回ってきました。

 相手は4番を敬遠して、5番の将大との勝負を選びます。

 2アウト満塁。ここで将大がヒットを打てば、逆転サヨナラで全国大会へ行けるという大事な打席です。球場全体がしんと静まり返りました。

 ところが将大は速球を中途半端なスイングで打ち上げてしまい、ライトフライで試合終了になります。

 将大が好きだった先輩にとっては、全国大会に出るラストチャンスだったのに、よりによって自分がヒットを打てなかったばかりにそのチャンスをふいにしてしまった。先輩への申し訳なさと自分自身への悔しさから将大は目つきが変わりました。みなさんが知っている、プロのグラウンドで打者に気迫で向かっていく勝負師の表情になったのです。

 それを見て、私は2年生の将大を新チームのキャプテンに指名しました。将大は、大嫌いだったランニングにも率先して取り組み、私の新しい求めにも先頭に立って食らいつくようになり、打たれ強くなりました。生まれつき持っていた負けん気に、あの一戦が火をつけたのです。

 運命とは面白いもので、将大はその村田と甲子園で対決しているのです。
1  2  3  4


『一流の習慣術』
イチローとマー君が実践する「自分力」の育て方
奥村幸治



奥村幸治(おくむら こうじ)
1972年兵庫県尼崎市生まれ。93年オリックス・ブルーウェーブ(現オリックス・バファローズ)に打撃投手として入団。94年イチロー選手の専属打撃投手となり、日本プロ野球最多210安打達成に貢献。「イチローの恋人」としてマスコミで紹介され、話題に。95年に阪神、96年に西武で打撃投手。96年自らユニフォームを脱ぎ、米国でメジャーリーグの野球を勉強。個人トレーナーとしてプロ選手らを指導した。99年に中学硬式野球チーム「宝塚ボーイズ」を結成し、強豪チームに育て上げる。楽天の田中将大投手は教え子。現在は同チームを応援するNPO法人「ベースボールスピリッツ」理事長も務める。
  • はてなブックマークに追加