カルチャー
2013年11月8日
中学時代のエピソードから知る
マー君(田中将大)の強さのヒミツ
『一流の習慣術』より
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重圧を楽しみ、力に変える


 あのとき将大は大会直前からフォームを崩していました。駒大苫小牧は優勝候補の一角と言われていましたが、エースがあれだけフォームを崩していた状況下で、よく決勝まで駒を進めたものだと私は思います。

 初戦の2回戦は山口県代表の南陽工に5対3でなんとか勝ちます。テレビで観ていても、将大が本来の調子でないことはよくわかりました。

 試合が終わってしばらくしてから、駒大苫小牧の香田誉士史監督(当時)から私のところに電話がかかってきました。SOSの電話でした。

「将大の調子が悪い。どうしたらいいでしょうか」

 甲子園の常連校レベルの監督さんは、プライドがありますから、中学硬式野球チームの監督にこういう電話はしないと思います。でも、選手のため、チームのためには、なんでもするというのが香田監督です。香田監督は、人間的にも素晴らしい方で、彼のおかげで将大は何倍も成長できたと私は思います。

「時間があるときに練習グラウンドまで来てもらえませんか」

 そう頼まれたので、私は二つ返事でグラウンドに飛んで行きました。香田監督は、駒大苫小牧のユニフォームを用意して待っていてくれました。

「これに着替えて、ひと声かけてください」とおっしゃられたので、ユニフォームに袖を通してグラウンドに出ました。

 将大はチームメイトと3人1組でキャッチボールをしているところだったので、私もその輪に入ってキャッチボールをしました。

 彼の表情を見てみると、確かに暗い顔をしている。私は言いました。

「苫小牧に行って本当に良かったと将大は話してくれたよな。苫小牧の仲間は本当に良い仲間だと言ってくれたよな。だったら最後の夏になぜそんな苦しそうな暗い顔をして野球をしているんだ。最後の甲子園は苦しんでやるところじゃない。最高の仲間と最高の思い出を作るために楽しんで戦う。そのことの方が何倍も意味があるんじゃないか」

 そんな言葉をかけて私はグラウンドを離れました。将大がどんな思いで私の言葉を聞いてくれたのか、そのときはわかりませんでした。でも、3回戦以降1勝するごとに試合後のインタビューで「今日は楽しんで投げられました」とコメントしていたので、私の言葉の意味をわかってくれたのかなと思いました。

 人一倍負けず嫌いの将大は、あのとき自分が抑えなければという責任感で押し潰されそうになっていたのです。3連覇という大きなプレッシャーのなかで、勝敗の責任を全部背負い、相手を力でねじ伏せて絶対優勝するという気持ちでいたのでしょう。だがフォームを崩して体調も万全ではなく、思ったような投球ができない。そのジレンマに悩んで、暗くて辛そうな顔をしていたのです。

 3回戦の青森山田戦は死闘でした。結局は10対9でサヨナラ勝ちをしましたが、前半は勝てる雰囲気ではありませんでした。

 試合の様子をあとで香田監督が教えてくれました。

 青森山田戦で、将大は序盤で打ち込まれました。ようやくスリーアウトを取ってベンチに帰って来たとき、彼は初めてみんなの前で「ごめん、ホンマごめん」と謝ったそうです。負けん気の強い将大が、見せたことのない弱気な表情で謝る姿を見て、「俺たちがなんとかしてやる!」とチームメイトの闘志に火がついた。香田監督はそうおっしゃいました。そして前半の6点差のビハインドを跳ね返して最後はサヨナラ勝ちをしているのです。

 試合後のインタビューでも、青森山田の監督さんも部長先生も、後半の駒大苫小牧の攻撃は凄かったとあっけに取られていました。あのパワーはどこから出てきたのかわからない。そんな話をされていましたが、原動力になったのは将大の一言なのです。

「ピンチで将大が本気で謙虚な姿勢を見せたから、だったら俺たちが取り返してやろうとチームが一丸となった。あの夏のチームの底力を見ました」

 香田監督はそうおっしゃっていました。

 準々決勝では東洋大姫路に5対4、準決勝では智弁和歌山に7対4で勝ち、決勝で早稲田実業と対戦することになったのです。

 引き分け再試合で早稲田実業に敗れましたが、あの夏の戦いがあったからこそ、将大はプロ1年目から先発ローテーションに入って活躍できているのだと思います。

 プロの試合は毎日がプレッシャーとの戦いです。長いペナントレースでは、体調が100%でないことの方がむしろ多いくらいです。そういう厳しい状況下でも重圧を自分のエネルギーに変えて実力を発揮する。それが「楽しむ」という意味であり、その重要性を2006年の夏の戦いで将大は学んだのです。

(了)
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『一流の習慣術』
イチローとマー君が実践する「自分力」の育て方
奥村幸治



奥村幸治(おくむら こうじ)
1972年兵庫県尼崎市生まれ。93年オリックス・ブルーウェーブ(現オリックス・バファローズ)に打撃投手として入団。94年イチロー選手の専属打撃投手となり、日本プロ野球最多210安打達成に貢献。「イチローの恋人」としてマスコミで紹介され、話題に。95年に阪神、96年に西武で打撃投手。96年自らユニフォームを脱ぎ、米国でメジャーリーグの野球を勉強。個人トレーナーとしてプロ選手らを指導した。99年に中学硬式野球チーム「宝塚ボーイズ」を結成し、強豪チームに育て上げる。楽天の田中将大投手は教え子。現在は同チームを応援するNPO法人「ベースボールスピリッツ」理事長も務める。
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