スキルアップ
2014年5月26日
仕事に効く、大人の漢文【4】「自立心を育てる」
[連載]
読むだけで人間力が磨かれる、大人の漢文【4】
監修・田部井文雄
「仕事」「人間関係」から「自分磨き」さらに「趣味」まで、漢文には人間力を高めるための知恵が詰まっています。『論語』『老子』『史記』など、知っていそうで知らない古典から“人間力”を磨くのに役立つ名言を収録した『読むだけで人間力が磨かれる、大人の漢文』から、特に仕事に効く漢文を紹介しましょう。
巨大なものの傘下で生きるより、小さくても自らが先頭にたつ気概
人は一人では生きていけません。助け合いながら生きていく動物です。
ですから、さまざまな場面で他人のお世話になることは、なんら恥ずかしいことではありません。しかし、他人に頼りっきりの人生というのも、いかがなものでしょうか。
いざとなったら、自分一人でなんとかする。現実としてはなかなかむずかしいことですが、そういう気概だけは持つようにしたいものです。
◎鶏口(けいこう)と為るとも牛後(ぎゅうご)と為る無かれ。(史記、蘇秦伝)
訳)ニワトリの口になるのはいいが、ウシのお尻にはなるな。
ニワトリとウシを比べれば、ウシの方がはるかに大きな体をしています。しかし、小さなニワトリの口=小さなグループのトップになる方が、大きなウシのお尻=大きなグループで下の方にいるよりはましだ、というのです。
自立心を持つことの大切さを、わかりやすく表現した名言です。
このことばは、「禍を転じて福と為す」でも有名な雄弁家、蘇秦(そしん)が、ある国の王に向かって述べたものです。
当時は、秦という国がどんどん強くなって、ほかの六つの国を圧迫し始めた時代でした。六国の王たちは、秦と従属関係を結んで安泰を図るか、あくまで独立を貫くかという、むずかしい選択を迫られていたのです。
蘇秦は、六国が同盟して秦と対抗することによって、各国が独立を保つ、という政策を主張していました。そこで、「鶏口と為るとも牛後と為る無かれ」と言って、独立の重要性を説いて回ったのです。
彼の主張に従って一時は同盟を結んだ六国ですが、やがて足並みが乱れ、次々に秦に滅ぼされていきます。秦が中国の統一を成し遂げたのは、紀元前二二一年のことでした。
最後のところで、自らを恃みとできる強さと潔さ
ところで、中国の文人の中で独立独歩の生涯を送った人物はといえば、まずは陶淵明(とうえんめい)でしょう。「時に及んで当に勉励すべし、歳月は人を待たず」で紹介したように、彼は酒好きで有名なのですが、反骨孤高の人でもありました。
陶淵明は、地方の貴族の出身で、地方の官僚を務めていました。しかし、数え年四十一歳のとき、つまらない上官に頭を下げるのに嫌気がさして、辞職して田舎に帰ってしまったのです。
以後、彼はだれにも仕えることなく、生涯を送ります。その生活は、経済的には決して楽なものではありませんでしたが、精神の自由を謳歌したのです。
そんな陶淵明が数え年六十三で亡くなったとき、知り合いの顔延之(がんえんし)(三八四~四五六)が書いた追悼文の中に、次のような一節があります。
◎物すら尚(なお)孤(ひと)り生ず、人は固(もと)より介(ひと)り立つ。(顔延之、陶徴士の誄)
訳)物でさえひとりでに生じてくるものなのだから、まして、人間が自立して生きていくのは当たり前のことだ。
陶淵明は、自分の信念を貫いて、他人に頼ることなく生き抜きました。それを、顔延之は、人間にとって当たり前の生き方だと言っています。そう言い切ることで、簡単にはまねのできない陶淵明の孤高の生涯を、誉め称えているのです。
自立心に関する名言を紹介してきたこの節の最後に、日本の佐藤一斎のことばを取り上げておきましょう。「少(わか)くして学べば、壮にして成すこと有り」で紹介した、江戸時代の学者です。
◎士は当(まさ)に己に在る者に恃(たの)むべし。(佐藤一斎、言志録)
訳)志の高い立派な人間は、自分の中身だけを頼りにすべきである。
「恃」とは、当てにするという意味。結局のところ、最後の最後の段階で当てにできるのは、自分しかいない。それは、人間不信に陥った者の悲しい開き直りではありません。自分の信念を貫こうとする者の、力強い雄叫びでしょう。
そういう人間になるために、私たちは、向上心を持って知識を幅広くし、豊富な経験を積み重ねて、でも頭でっかちにはならないように気を付け、柔軟な発想ができるように、日々、努力を続けていくのです。
それこそが、"自分磨き"というものでしょう。
(第4回・了)
【監修】田部井文雄(たべいふみお)
1929年生まれ。東京教育大学大学院修士課程修了。都留文科大学、千葉大学教授を経て、現在、湯島聖堂斯文会参与。『大漢和辞典』を初めとする漢和辞典、高校教科書などの編集に数多く携わり、NHKラジオ、テレビの放送なども担当。現在は、朝日カルチャーセンターや湯島聖堂斯文会などで、漢詩文に関する講義を行っている。主な著書に、『唐詩三百首詳解(上・下)』『中国自然詩の系譜』『四字熟語物語』(いずれも大修館書店)、『陶淵明集全釈』(共著、明治書院)、『漢文塾 漢字文化の魅力(上)』『漢詩塾 漢字文化の魅力(下)』(いずれも明治書院)など。また、『親子で楽しむこども論語塾』(明治書院)、『絵でみる論語』(日本能率協会マネジメントセンター)、『読むだけで人間力が磨かれる、大人の漢文』(SB新書)などの監修も務めている。
1929年生まれ。東京教育大学大学院修士課程修了。都留文科大学、千葉大学教授を経て、現在、湯島聖堂斯文会参与。『大漢和辞典』を初めとする漢和辞典、高校教科書などの編集に数多く携わり、NHKラジオ、テレビの放送なども担当。現在は、朝日カルチャーセンターや湯島聖堂斯文会などで、漢詩文に関する講義を行っている。主な著書に、『唐詩三百首詳解(上・下)』『中国自然詩の系譜』『四字熟語物語』(いずれも大修館書店)、『陶淵明集全釈』(共著、明治書院)、『漢文塾 漢字文化の魅力(上)』『漢詩塾 漢字文化の魅力(下)』(いずれも明治書院)など。また、『親子で楽しむこども論語塾』(明治書院)、『絵でみる論語』(日本能率協会マネジメントセンター)、『読むだけで人間力が磨かれる、大人の漢文』(SB新書)などの監修も務めている。