ビジネス
2014年8月22日
「慰安婦誤報」問題は、なぜ生まれてしまったのか
[連載]
日本人はなぜ世界での存在感を失っているのか【5】
文・山田順
朝日新聞はなぜ吉田清治の慰安婦強制連行の話を信じたのか
じつは朝日新聞は、従軍慰安婦問題にしても同じことをしている。この問題も、1992年までは存在しなかった。2013年5月、日本維新の会の橋下徹共同代表(大阪市長)の「慰安婦」発言が、波紋を広げたが、彼はこのことを知っているからあえて問題にしたのだと思う。しかし、これを対外的にメッセージとして発しても意味はない。その後の展開を見ると、彼の発言がかえって事態を悪化させてしまったのは明らかだ。
従軍慰安婦問題は、1992年1月の朝日新聞記事が発端だ。それ以前に、日本共産党員の吉田清治という人間が、この問題を創作して本にしており、朝日記事はそれに便乗したものである。吉田氏は、その後、本の内容がウソだったことを認めている。
2013年5月14日付の読売新聞記事「従軍慰安婦問題、河野談話で曲解広まる」は、この経緯をはっきりと書いていたので、以下、引用したい。
《従軍慰安婦問題は1992年1月に朝日新聞が「日本軍が慰安所の設置や、従軍慰安婦の募集を監督、統制していた」と報じたことが発端となり、日韓間の外交問題に発展した。記事中には「主として朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した」などと、戦時勤労動員制度の「女子挺身隊」を"慰安婦狩り"と誤って報じた部分もあり、強制連行の有無が最大の争点となった
宮沢内閣は同年7月、軍による強制徴用(強制連行)の裏づけとなる資料は見つからなかったとする調査結果を発表した。しかし、韓国国内の日本批判は収まらず、政治決着を図る狙いから、翌93年8月、河野洋平官房長官(当時)が、慰安所の設置、管理、慰安婦の移送について軍の関与を認め「おわびと反省」を表明する談話を発表した。
ところが、河野談話によりかえって「日本政府が旧日本軍による慰安婦の強制連行を認めた」という曲解が広まったため、第1次安倍内閣は 2007年3月、「政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述は見当たらなかった」とする政府答弁書を閣議決定している。》
私は学生時代からずっと朝日新聞を愛読している。しかし、いまだによくわからないのは、朝日新聞の想像力の逞しさだ。朝日新聞は、私の学生時代、中国の文化大革命を絶賛していた。それ以前は、北朝鮮を「理想国家、地上の楽園」のように報道していた時期もあった。自国民を大虐殺したカンボジアのポル・ポト政権も賛美していた。
そして1985年に靖国参拝問題を、1992年に従軍慰安婦問題を突如取り上げ、日本人に歴史認識問題を突きつけたのである。
いま、私たちは1940年代を生きているのではない。2014年を生きている。つまり、これらの問題は、私たち日本人自身(日本のメディア)が「いまの問題」にしなければ、こんなことにならなかったのだ。日本と韓国の両方の国民を欺いた「河野談話」も生まれなかった。いまの歴史観で過去を裁く。そのこと自体がおかしいと、報道機関なら、なぜ思わないのだろうか?
欧米メディア記者の日本報道の裏側
私は、日本にいる欧米メディアの記者の何人かと親交がある。それで、彼らがどのような経緯で、日本の記事を書くのかをよく知っている。簡単な話、彼らは日本語があまりできない人間が多い。
そこで、バイリンガルの日本人アシスタントを使い、日本の報道をリサーチさせる。そうして、そのなかの面白い部分、本国の編集者や読者に受けそうな部分を強調して伝えるのだ。要するに、日本の報道にのって、それをパクっている。日本のメディアの特派員も、海外では同じことを行っているので、同じ穴の狢(むじな)だ。
ひとくくりに欧米の記者といっても、そのなかには親日的な記者と反日的な記者がいる。親日的な記者はたとえば、日本女性を妻にしていたり、日本人の恋人がいたりする。日本人女性によくモテる記者は、おしなべて親日的だ。しかし、日本人女性にモテず、あるいは日本人女性にフラれたりすると、日本に批判的な記事を書くようになる。
本国の編集者が採用するのは、読者受けがいい、いわゆる「日本異質論」である。その結果、日本人は欧米人とこんなに違う、働き方も、恋愛も、セックスも、日本人は欧米人とはこんなに違うという記事が、東京発で大量に書かれた時代があった。
1980年代半ばから始まった歴史認識問題も、「日本異質論」の格好のテキストになった。当時のことを思い出すと、結局、欧米メディアはまったく変わっていない。
ただ、1990年代の半ば以降は、日本の経済力の衰えが明らかになったので、日本異質論はなりを潜めた。そして、日本より中国のほうが重要視されるようになり、優秀な記者は東京を離れ、北京に行くようになってしまった。アジア報道の中心地は、日本から中国へ移ったのである。
現在、日本にいる欧米メディアの記者は、昔に比べたらクオリティが低い。1980年代の東京はバブル景気に沸き、日本経済は世界最強だったから、欧米メディアの記者も優秀な人間がそろっていた。しかも、日本人は欧米人を立ててくれるので、東京での記者生活は天国だった。
しかし、いまは違う。東京支局を閉じたメディアも多く、本国から派遣されてくる特派員は少なくなった。それで、日本採用のフリーランサーや日本人を使うことが多くなった。 現在、日本に支局を持つ欧米メディアのなかで、もっとも日本に批判的な記事を書くのは、米『ウォール・ストリート・ジャーナル』(WSJ)紙である。
WSJはさすがにアメリカの保守系新聞だけに「対中強硬」「日米同盟への強い支持」を表明している。しかし、それにもかかわらず、東京発の記事は、日本批判に満ちている。こうした記事を書いているのも、2人の優秀な日本人女性記者である。結局、いまだに日本人は、自国のメディアばかりか、欧米メディアにも自分たちに不利になる記事を書きまくっているのだ。もちろん、欧米メディアの場合、本社の編集者がそれを望んでいるのだから、彼女たちの責任ではない。この『WSJ』日本支局の偏向報道に関しては、『選択』(2013年1月号)に詳しく書かれているので、興味のある方は、それを読んでほしい。
(了)
【著者】山田順(やまだ じゅん)
1952年、神奈川県横浜市生まれ。立教大学文学部卒業後、1976年光文社入社。『女性自身』編集部、「カッパブックス」編集部を経て、2002年「光文社 ペーパーバックス」を創刊し編集長を務める。2010年からフリーランス。現在、ジャーナリストとして取材・執筆活動をしながら、紙書籍と電子書籍の両方のプロデュースも手掛ける。著書に、『出版大崩壊』、『資産フライト』、『脱ニッポン富国論「人材フライト」が日本を救う』(いずれも文春新書)、『本当は怖いソーシャルメディア』(小学館新書)、『新聞出版 絶望未来』(東洋経済新報社)、翻訳書に『ロシアン・ゴットファーザー』(リム出版)など。近著に、『人口が減り、教育レベルが落ち、仕事がなくなる日本』(PHP 研究所)、『税務署が隠したい増税の正体』(文春新書)、『日本人はなぜ世界での存在感を失っているのか』(SB新書)がある。
1952年、神奈川県横浜市生まれ。立教大学文学部卒業後、1976年光文社入社。『女性自身』編集部、「カッパブックス」編集部を経て、2002年「光文社 ペーパーバックス」を創刊し編集長を務める。2010年からフリーランス。現在、ジャーナリストとして取材・執筆活動をしながら、紙書籍と電子書籍の両方のプロデュースも手掛ける。著書に、『出版大崩壊』、『資産フライト』、『脱ニッポン富国論「人材フライト」が日本を救う』(いずれも文春新書)、『本当は怖いソーシャルメディア』(小学館新書)、『新聞出版 絶望未来』(東洋経済新報社)、翻訳書に『ロシアン・ゴットファーザー』(リム出版)など。近著に、『人口が減り、教育レベルが落ち、仕事がなくなる日本』(PHP 研究所)、『税務署が隠したい増税の正体』(文春新書)、『日本人はなぜ世界での存在感を失っているのか』(SB新書)がある。