カルチャー
2015年7月22日
終戦1ヵ月前に日本に宣戦布告し"戦勝国"になったイタリア
[連載] 日本人が知らない「終戦」秘話【2】
文・松本利秋
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イタリアは敗戦国の汚名から逃れ日本に賠償を求めてきた


 救出されたムッソリーニは、1943年9月15日にヒトラーと会談。この時、ムッソリーニは胃癌で衰弱していたが、ヒトラーの要請を受けて9月18日に共和ファシスト党を創立。9月23日には、イタリア北部のドイツ軍支配地域に、ムッソリーニを国家元首とするイタリア社会共和国(RSI)を建国した。

 イタリア社会共和国では、ムッソリーニが元首と外務大臣を兼務し、形の上では独裁体制を復活させた。ムッソリーニとファシスト党強硬派によって築かれた新国家は、王国政府の休戦を「不名誉な裏切り」と非難し、「名誉ある継戦」を主張したため、イタリアはローマ以北のイタリア社会共和国とローマ以南のイタリア王国に別れての内戦状態に突入した。

 ドイツ軍の支援を受けて創設したイタリア社会共和国軍は、連合国相手に各地で善戦したが劣勢は免れず、1945年4月にはドイツ軍の降伏が決定した。ドイツ軍の降伏はイタリア社会共和国政府にも通告されず、4月25日には、イタリア社会共和国政府は事実上の政権崩壊に追い込まれた。

 元首ムッソリーニも4月27日に拘束され、法的裏付けを持たない略式裁判を経てパルチザンに射殺された。イタリア社会共和国軍は4月29日まで抵抗を続けた後、グラツィアーニ元帥の署名で降伏に同意した。

日本に宣戦布告した国々 ※クリックすると拡大

 一方、バドリオ政権は連合国側として、1943年10月13日にドイツに対して宣戦布告し、1945年7月15日には日本に対しても宣戦布告をした。

 その上に、戦後には戦勝国として日本に賠償金を求めてきた。しかし日本政府は、当時イタリア社会共和国を正式な国家として承認しており、バドリオ政権を未承認であったことから、その権利を認めないという立場を採った。

 1946年の国民投票により、戦時中に国民を捨てて逃亡した国王は廃位され、王国は消滅した。イタリアは共和国となり、1955年に国連加盟を果たし、連合国としての一連の振る舞いが認められ、国連の敵国条項対象国とはなっていない。

 なお、今回の記事内容については、7月16日発売の拙著『日本人だけが知らない「終戦」の真実』(SB新書)でもふれている。あわせてご一読いただきたい。

(了)





日本人だけが知らない「終戦」の真実
松本利秋 著



松本利秋(まつもととしあき)
1947年高知県安芸郡生まれ。1971年明治大学政治経済学部政治学科卒業。国士舘大学大学院政治学研究科修士課程修了、政治学修士、国士舘大学政経学部政治学科講師。ジャーナリストとしてアメリカ、アフガニスタン、パキスタン、エジプト、カンボジア、ラオス、北方領土などの紛争地帯を取材。TV、新聞、雑誌のコメンテイター、各種企業、省庁などで講演。著書に『戦争民営化』(祥伝社)、『国際テロファイル』(かや書房)、『「極東危機」の最前線』(廣済堂出版)、『軍事同盟・日米安保条約』(クレスト社)、『熱風アジア戦機の最前線』(司書房)、『「逆さ地図」で読み解く世界情勢の本質』(小社刊)など多数。
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