カルチャー
2014年12月17日
なぜ、トンデモな征夷大将軍が登場するのか?
[連載] 本当は全然偉くない征夷大将軍の真実【1】
監修・二木謙一/文・海童 暖
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「征夷大将軍」といえば、武士の棟梁であり、さぞかし立派な人物であると思いがちである。が、しかし、その実態はトンデモな人物だらけだった! 本連載では、『本当は全然偉くない征夷大将軍の真実』(SB新書)から、武家政権を支配した“将軍様”の素顔を紹介していこう。


2代目以降はやはりダメ!? 武家の棟梁「将軍様」の真実


 征夷大将軍は坂上田村麻呂以来、武人すべての最高司令官としての地位が備わるようになり、大将軍の命令ですべての武士たちが行動するとされた。そして源頼朝以来の征夷大将軍は武士の棟梁として、事実上の日本の最高権力者となっていった。

 頼朝が望んだ征夷大将軍は、臨時の軍事大権としてではなく、常置の軍事政権の支配者としてであった。これは古代律令制の征夷大将軍の観念を大きく転換させるもので、征夷大将軍の称号を政治化させた。

 頼朝以前の征夷大将軍は、武官として優秀な者が臨時に任じられ、職務を遂行すると解任されていた。だが頼朝以降の征夷大将軍は「天下の兵馬の権」の掌握者として政権を担うようになり、世襲されるようになった。

 征夷大将軍が世襲されるようになると、血統が優先されるようになり、優れた軍事才能者とは無縁になり、トンデモな人物が登場するようになった。

 商家では、初代は勤勉で寝食を忘れて働き、それを見て育った2代は初代の残した遺産を維持することに努め、3代になると祖父や父の苦労と関係なく育つため散財するとされている。

 室町幕府や江戸幕府の征夷大将軍にも同様の現象が見られ、初代の足利尊氏や徳川家康は強力な個性を押し出して天下を掌握し、2代の足利義詮や徳川秀忠は親の偉業を継承することに努力し、3代は生まれながらに征夷大将軍の地位を約束されたため、強権を発揮する人物になり、足利義満は南北両朝を合体させて、さらに天皇王権を侵す気配を見せ、徳川家光は幕府組織を完成させている。

政治に無関心、放浪、酒色、浪費...驚愕のトンデモ将軍


 将来の将軍位を約束された者の多くは、政治に対しては無関心で、源頼家、足利義量や足利義尚などは酒で体調を崩してしまったくらいだ。

 しかし、彼らは権力欲だけは旺盛で、室町将軍などは自らの実力が弱いため、有力守護の家督に介入し、争わせて力を削ぐという陰謀を巡らせる頭脳の持ち主となっていき、やがて都を追われて各地を放浪するのは当然の宿命であったのだろう。

 また征夷大将軍が世襲されるようになると、しっかりと嗣子を作り、家を継承させることが、将軍の最大の仕事になった。医学や育児法の幼稚な時代であったため、子どもの成人率が低く、予備の男子を多く持っておかねばならず、女色に溺れることも一概に罪悪とはされない時代でもあった。

 若い頃の徳川家光は女性に興味を示さなかったが、無事に男子に恵まれた。だが度を超えて女色にだらしない将軍も多く、足利義政などは乳母を側室にし、徳川綱吉は側用人の妻子に手を付けるという常識外の人物であったとされ、徳川家斉は多くの側室に55人の子を産ませるというトンデモな将軍であったことはよく知られており、徳川慶喜も好色将軍とされている。

 また、女色と浪費は一体のもので、最高権力者である征夷大将軍という個人と、幕府という政府の境界はほとんどないため、将軍の浪費は国家財政をも窮乏させ、江戸時代中期以降には、貨幣の改鋳益で政府を維持することが常態になっていった。

 徳川家康は徳川氏が征夷大将軍として永遠の政権掌握者とするために、鎌倉幕府や室町幕府の在り方を研究したようだ。強固な幕府組織を構築したことで、幼少の家継や病弱な家重、家定が将軍になっても、老中を中心とする幕閣が支えることで大過なく過ごすことができた。

 また、儒学を政治精神の中心に据えたため、将軍は君臨するだけになり、幕閣の献策を「左様せい」としか言わない者がほとんどとなり、そのように鷹揚に対することが貴人の慣習とされたが、同時に存在感も薄くなっていった。

 その上、将軍を支えるべき老中たち自身も、幕府組織を小型化した大名家の当主であるため、才能のある人物ではなくなっていた。

 ところが幕末になって、これまで政治に口出ししなかった将軍に、権威や才能が求められるようになった。だが外圧による政治の混沌は、将軍一人の能力だけで切り抜けられる単純なものではなかった。その上に、軍事政権である幕府の軍事力も、太平に慣れて弱体化しており、ついには政権を投げ出さざるを得なくなった。

 当時を生きた人たちには申し訳ないが、次々とトンデモな征夷大将軍が登場した時代は、見方を変えれば実は面白い時代だったのである。

 次回からは、鎌倉・室町・江戸の歴代征夷大将軍の中から一人ずつ、もう少し詳しく、そのトンデモっぷりを見ていこう。

(第1回・了)





本当は全然偉くない征夷大将軍の真実
武家政権を支配した“将軍様”の素顔
二木謙一 監修/海童 暖 著



【監修】二木謙一(ふたきけんいち)
1940年東京都生まれ。國學院大學大学院日本史学専攻博士課程修了。國學院大學名誉教授。豊島岡女子学園理事長。文学博士。『中世武家儀礼の研究』(吉川弘文館)でサントリー学芸賞を受賞。主な著書に『関ヶ原合戦─戦国のいちばん長い日』(中公新書)、『戦国 城と合戦 知れば知るほど』(実業之日本社)ほか多数。NHK大河ドラマ「平清盛」「江~姫たちの戦国~」「軍師 官兵衛」ほか多数の風俗・時代考証も手がけている。
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