カルチャー
2015年1月9日
【トンデモ将軍列伝6】家臣の妻子にまで手を出した!?「犬公方」徳川綱吉
[連載] 本当は全然偉くない征夷大将軍の真実【8】
監修・二木謙一/文・海童 暖
  • はてなブックマークに追加

「征夷大将軍」といえば、武士の棟梁であり、さぞかし立派な人物であると思いがちである。が、しかし、その実態はトンデモな人物だらけだった!『本当は全然偉くない征夷大将軍の真実』(SB新書)から、武家政権を支配した“将軍様”の素顔を紹介する本連載。第8回目は、江戸幕府5代将軍・徳川綱吉について見ていこう。


堀田正俊のクーデターで将軍に就く


徳川綱吉(将軍在任:1680年8月~1709年1月)
(c)フレッシュ・アップ・スタジオ

 徳川5代将軍になる綱吉は、3代将軍家光の4男として正保3年(1646)正月に生まれた。幼名を徳松(とくまつ)とされ、母は側室のお玉の方である。

 承応2年(1653)に4代将軍家綱が右大臣に昇進すると、それに併せて2人の弟が元服した。
 兄の家綱からを受けて、長松は綱重(つなしげ)、徳松は綱吉と名乗り、松平姓を称するようになった。

 綱吉は初期には近江、美濃、信濃、駿河、甲斐、上野などから15万石を拝領していたが、明暦の大火以降に上野国館林(たてばやし)で25万石を領し、「館林宰相」とされて徳川氏を名乗った。

 延宝8年(1680)に、兄の家綱が重態に陥り、子がいない家綱の後継が問題になったが、幕政を専断する大老酒井忠清(さかいただきよ)は、鎌倉幕府の親王将軍に倣って有栖川宮幸仁親王(ありすがわのみやゆきひとしんのう)を次期将軍に推し、北条氏のように執権政治を目論んだ。

 だが、こういう時のために家康は御三家を作っており、ましてや家綱には2人の弟がいた。この時には綱重は亡くなっていたが綱吉が残っていた。

 重臣たちの会議は忠清が押し切る形で決まりかけたが、春日局の義理の孫の老中堀田正俊(ほったまさとし)は、徳川家の正統な血統として綱吉を強く推して反対した。

 正俊は病床の家綱の許に押しかけ、次期将軍を綱吉にする遺言状を書かせるという大胆な行動をし、綱吉を家綱に対面させたのである。

 この正俊のクーデターにより、綱吉は将軍になることができた。

天下の悪法「生類憐れみの令」の実態とは?


 家光は幼い綱吉を見て「この子には学問をさせよ」と言った。
 綱吉は幼少時より母から古典や仏道を学び、やがて学問好きの青年となるが、熱心に取り組んだのは儒教であった。

 孔子を祀る霊廟として湯島聖堂を建設し、自ら講義も行なって、武威による軍事支配から儒学の徳目による君子政治に転換を図ろうとした。

 後に天下の悪法とされる「生類憐みの令」(しょうるいあわれみのれい)も、捨て子や捨て病人の救済をする、人を主とした生き物に対する憐愍の志を持つことで、世の中が安定するとしたのが始まりだった。
 それには綱吉が「生まれながらの将軍」ではなく、思いがけない幸運から将軍の地位に就いたことから、幕閣の中にも冷ややかな視線で見る者もいたことに対する反発であるとする説もある。

 世に言う「生類憐みの令」という法令はなく、最初は貞享2年(1685)7月に出された、将軍の御成先に犬猫を繋ぐに及ばずというお触れだった。
 だが綱吉の執拗な性格は、次々と極端な動物愛護に関する法令を116件も発令していき、牛馬や犬猫にとどまらず、鳥や虫類の飼育、魚釣りの禁止にまで及んだ。綱吉の性格は何事も徹底してやると言えば聞こえはいいが、極端に行き過ぎてしまうのである。

 やっと生まれた側室お伝との間に生まれた長男徳松(とくまつ)が早逝してしまい、母の桂昌院が尊崇する僧隆光(りゅうこう)が「子が欲しければ、戌年(いぬどし)生まれなら犬を大事にしなければならない」と進言したとされ、桂昌院は3代家光の側室となった自分の出世は神仏のおかげと信じたことからこれを強く勧め、とくに犬を愛護するようになったとされる。

 たしかに犬に関連する法令は42件も出されており、中野に犬の収容小屋を造って10万匹を保護したが、その費用の年間10万両は江戸の町民が負担させられていた。

 また犬を傷つけたことで遠島にされた武士もいて、杓子定規に物事を判断するあまり、思いやりのある「仁政」を目的としたことが忘れられて「犬を重んじ、人命を軽視」ということになっていった。一種の偏執狂のような性格である。

 また、歌舞音曲を好み、書や絵もたしなんだ綱吉だが、犬の絵を一枚も描いていない。はたして綱吉は「愛犬家」であったのかと、疑問を呈する研究者もいるのである。






本当は全然偉くない征夷大将軍の真実
武家政権を支配した“将軍様”の素顔
二木謙一 監修/海童 暖 著



【監修】二木謙一(ふたきけんいち)
1940年東京都生まれ。國學院大學大学院日本史学専攻博士課程修了。國學院大學名誉教授。豊島岡女子学園理事長。文学博士。『中世武家儀礼の研究』(吉川弘文館)でサントリー学芸賞を受賞。主な著書に『関ヶ原合戦─戦国のいちばん長い日』(中公新書)、『戦国 城と合戦 知れば知るほど』(実業之日本社)ほか多数。NHK大河ドラマ「平清盛」「江~姫たちの戦国~」「軍師 官兵衛」ほか多数の風俗・時代考証も手がけている。
  • はてなブックマークに追加