カルチャー
2015年7月28日
ソ連に北海道占領を諦めさせた占守島の自衛戦──ソ連軍に抵抗した樋口李一郎の決断
[連載] 日本人が知らない「終戦」秘話【3】
文・松本利秋
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ソ連は一方的にポツダム宣言に参加した


 ソ連は独自のポツダム宣言を出して、日本に突きつけようとしたが、結局は成功せずに終わっている。このままでは日本との戦争の主役から外され、対日参戦の成果が得られない可能性がある。スターリンは、一刻も早く日本と戦闘状態に入り、既成事実を作っておかねばならないと焦っただろう。

 8月5日、ポツダムから帰ったスターリンは対日参戦準備を急がせ、8月5日には満州から50キロの地点に部隊を集結させ、命令一つでいつでも戦闘に入る準備が整った。
 8月6日、アメリカによって広島に原爆が投下される。そして、8月7日には、スターリンのもとに、日本の佐藤大使が外相モロトフに面会を申し込んできたという知らせが舞い込んできた。日本は、原爆を投下された後も、ソ連の調停に希望をつなぎ、まだ降伏の意思のないことが確認された。ここで、スターリンは、対日参戦の指令書に署名し、その作戦開始予定日は8月9日とした。

 8月8日午後5時、佐藤大使はモロトフに面会するためにクレムリンを訪れた。モロトフはソ連政府がポツダム宣言に参加する旨を伝え、日本に対する宣戦布告文を読み上げた。
 この時、ソ連を頼りに和平条約を求めてきた日本は、ソ連から突き放されたのである。ソ連は米・英・中三国が発したポツダム宣言に一方的に加入することで、日ソの中立条約を破棄して、参戦することを正当化したのである。

 佐藤大使とモロトフ会談から1時間後の8月9日未明。ソ連極東軍は、国境を越え満州の日本軍への攻撃を開始する。その10時間後、2発目の原爆が長崎に投下された。2発の原爆とソ連参戦によって、日本政府はついに降伏に傾く。

 8月14日、日本は米・英・中が発したポツダム宣言を受諾、これを受けて、アメリカは停戦命令を出す。しかしソ連は攻撃の手を緩めず、南樺太、千島の進攻を開始。この時点では、ヤルタの密約で約束された領土は、まだソ連の支配下にないからだ。

 8月15日以降、日・米・英・中は作戦行動を中止し、武器を置いて休戦状態に入った。この一点を取り上げても、ソ連が樺太や北方領土を軍事的に占領する根拠は失われる。






日本人だけが知らない「終戦」の真実
松本利秋 著



松本利秋(まつもととしあき)
1947年高知県安芸郡生まれ。1971年明治大学政治経済学部政治学科卒業。国士舘大学大学院政治学研究科修士課程修了、政治学修士、国士舘大学政経学部政治学科講師。ジャーナリストとしてアメリカ、アフガニスタン、パキスタン、エジプト、カンボジア、ラオス、北方領土などの紛争地帯を取材。TV、新聞、雑誌のコメンテイター、各種企業、省庁などで講演。著書に『戦争民営化』(祥伝社)、『国際テロファイル』(かや書房)、『「極東危機」の最前線』(廣済堂出版)、『軍事同盟・日米安保条約』(クレスト社)、『熱風アジア戦機の最前線』(司書房)、『「逆さ地図」で読み解く世界情勢の本質』(小社刊)など多数。
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