カルチャー
2015年6月30日
中国に負けないベトナムの「したたかさ」とは
[連載] 中国との付き合い方はベトナムに学べ【2】
文・中村繁夫
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痛っ!利用しても利用されないベトナム


 恥をさらすようだが、私もかつてベトナムでは痛い目にあっている。ドンパオ鉱山の隣に位置するライチャウ省のある地区で既にレアアース開発を計画していた。その頃、日本のレアメタル資源戦略の多様化をテーマとしたプレゼンテーションを北京の国際会議で行ったのがきっかけだった。

 中国によるレアメタルの輸出制限が始まる前のことだったが、そこでは「日本はレアメタル資源調達の将来性について困っているわけではない」と、あえて戦略的に強気のプレゼンを行い、より質の高い素材開発などを行っていきたいという話をしたのである。

 そのプレゼンを聞いたベトナムのある有力企業が「そういうことなら中村先生、ぜひマーケティングも含めて我われに鉱山開発の指導をしてください」と声を掛けてきたのだ。

 私にとっても日本の業界にとっても良い話である。そう考え、2週間後にはハノイに飛んで有力企業の会長と面談をした。互いに中国に負けないレベルの高い商流をつくろうと意気投合し、そのためにまずは秘密保持契約(NDA)を結んだのである。

 そこから私は日本のユーザーにヒアリングを行いつつ、早々に現地視察を行いたい旨をベトナム側に伝えたのだが、なかなか話が進まない。これは直接話をしないといけないと、またハノイに飛んだのだが、先方は前回までの話を笑顔で繰り返し、それよりも日本側の情報を教えてくださいと言うのである。

 私は、パートナーとなる相手には腹を割って基本的には隠し事をしない主義である。だから日本のユーザーが求める品質規格や市場ニーズなどの情報を伝えた。

 ところが──。三度目にハノイに行くと、私が伝えた情報は「すべて既知のものばかりだった」と言うのである。そんなはずがない。私が直接、一次情報としてつかんだ情報ばかりで、そんなものはどこを探しても見つからないものばかりなはずだ。

 何をアホ抜かすねんと独り言を言ったが(ははぁ、そういうことか)と合点がいった。つまり、彼らは最初から私のレアな情報を引き出すことが目的で、その情報を自分たちの持っている開発利権にうまく利用したかったのだ。

 だが、私はそこまでベトナム人は悪くもないだろうという思いも捨ててはいなかった。それに、ここまでにかけた労力も先行コストとして無視はできなかったのである。

相手の手の内を知って利用するベトナム


 私は、ここからも粘り強く、何とかこの鉱山開発を前に進めようとしたが、4回目にとうとうキレた。会長が、こう言ったからである。
 「実は私はチェアマンではない。私に権限などない。裏に大物がいる」と。
 (ほーら、来よった)

 薄々、感づいてはいたが、ベトナムとのビジネスはやはり一筋縄ではいかない。先を急いだ私の失敗であった。してやられた私が言うのも何だが、日本政府などは、実は表立って話題にしないだけで、ベトナムでの鉱山開発で相当な痛手を負っている。

 結局、我われから引き出した情報を使って韓国企業と相当有利な条件で契約をしていたことが後にわかった。

 たまたま、その直後に韓国のKORES(韓国鉱物資源公社)で日本のJOGMEC(石油天然ガス・金属鉱物資源機構)と一緒に日本のレアメタル市場に関する講演をする機会があり、そのパーティーの席上で韓国の関係者からポロッと件のベトナムとの契約の話がこぼれたのである。

 秘密保持契約を結んだうえに、そういうことをするのかと問い詰めても、彼らは「韓国との契約であって、日本との契約ではないから問題ないだろう」と平気な顔をしている。すっかり煮え湯を飲まされたわけだが、ベトナムは「顔と心は違うのだ」と、改めていい勉強をさせてもらったと考えるしかなかった。

 こういった事件とも呼べないような話ならいくらでもある。さらには日本からの投資の場合、政府や政治家の思惑も絡んだODAの話が入り込んできて、なお一層、ややこしい。

 大事なことは、現場ではいろんなエネルギーが働いているということだ。繰り返すようだが、それらは決して表面上の話を聞いたり情報をなぞっていてもつかむことはできないのである。

 相手に利用され踊らされるか、相手と踊りながらもこちらもきちんと利用するか。その違いは実に大きい。

 なお、ベトナムを映し鏡に我われが中国をはじめ世界といかに付き合っていくかについては、7月16日発売の『中国との付き合い方はベトナムに学べ』(SB新書)に詳しくまとめている。あわせてご一読いただきたい。

(了)





中国との付き合い方はベトナムに学べ
中村繁夫 著



【著者】中村繁夫(なかむらしげお)
1947年京都府生まれ。京都府立洛北高校卒業後、静岡大学農学部木材工業科に進学。大学院に進むが休学し、世界放浪の旅へ出かける。ヒッピーのような生活を続けながら、ヨーロッパ、ブラジル、アメリカなど30数カ国を放浪する。約3年の旅を終え、大学院に復学、修士課程を修了。旅を続ける中で、商社の仕事、レアメタルという商材に興味を覚え、繊維と化学品の専門商社、蝶理に27歳の新入社員として入社。約30年勤務し、そのほとんどをレアメタル関連部門でのレアメタル資源開発輸入の業務に従事する。蝶理の経営状況悪化により、55歳でいきなりのリストラ勧告。レアメタル事業をMBOで引き継ぐことを決意し、2003年、蝶理アドバンスト マテリアル ジャパンの社長に就任。翌年、MBOを実施し独立。アドバンスト マテリアル ジャパンの代表取締役社長に就任した。中国、ベトナムをはじめとするアジア各地で会社を設立し、ビジネスを幅広く展開。日本の「レアメタル王」として知られる。交渉を通じて数多くの失敗を経験するなかで、ベトナムの交渉術(対外戦略)が個人・ビジネス・国家レベルでいちばん日本人に参考になることを説く。ウェッジ等でアジアに関するコラムを数多く寄稿。著書に、『レアメタル・パニック』(光文社)、『レアメタル資源争奪戦』(日刊工業新聞社)、『2次会は出るな!』(フォレスト出版)などがある。
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