カルチャー
2015年7月30日
日本の交渉力はシーラカンス級!? 「ベトナム的発想」で優位に立て!
[連載]
中国との付き合い方はベトナムに学べ【5】
文・中村繁夫
ベトナムの「4K」を味方につける
アオザイを着たベトナムの女性たち(ハノイの博物館前にて)
それらを私はまとめて、ベトナムの「4K」と呼んでいる。すなわち「コネ社会」「教育力」「交渉上手」「カカア天下」である。
日本でも、もちろんコネは存在するが、どちらかと言うと裏側にあるもので、あまり表立って出すものではないとされている。そもそも日本ではコネに対してネガティブなイメージを持たれることも多い。
だが、世界と付き合う上では、もっと日本はコネをスマートに利用したほうがいいと思うのである。コネの正しい使い方を知らないから敬遠している部分も多分にあるだろう。
日本でも高度経済成長期には植木等が、コネでOKじゃないかと歌っていた。右肩上がりの時代にはコネを恥ずかしいとは思わず、堂々とエネルギーとして使っていたのである。
世界ではコネのあるなしで、大きく状況が変わることは当たり前。ベトナムもコネがなければ、いくら綺麗事を言っても話は進まない。特にベトナムの血縁や地縁は南北でまったく異なる。
たとえば北のハノイでは、南のホーチミン市の人脈は通用しないと言ってもよい。ビジネスが大きければ大きいほど、北ベトナムで成功しようと思えば北の人脈がものを言うのである。逆もまたしかりである。私も最初は、そうしたベトナム独自のコネの仕組みがわからず苦労した。
交渉力・外交力が著しく欠けた日本
ベトナムの「4K」の中でも交渉力は、日本が最も学ぶべきものだと思う。日本がアジアで優位に立ちたいのであれば、今からでもベトナムに交渉力を学ばなければならない。
同じ島国でも英国やキューバはきちんと交渉力を持っていることが世界でも認知されているが、日本だけが交渉力・外交力が欠落している。世界では「日本の交渉力・外交力はシーラカンス級」とまで言われているのが現実である。
なぜ、そうなったのか。よく言われていることだが、日本は未だ過去の成功体験から抜け切れていない。進取の精神が薄れてきているのである。同類との交渉しかしないような蛸壺(たこつぼ)の中に閉じこもっているのは楽ではあるが、そこには交渉上手になる要素は含まれていない。
特に気になるのが日本人の陥りがちな教条主義である。一度決まったもの、前例のあるものについては「こういうものだから」とガチガチに固まった思考をしてしまう。交渉において柔軟さや臨機応変というものがないのだ。
決められたことを決められた範囲でのみ処理していくのは、言っては悪いが役人根性である。自分の役回りと権限を守ることのみに固執して、そもそもの交渉事のダイナミクスが抜け落ちている。
たとえば、日本は未だ国連の常任理事国入りを果たせていないが、世界を相手にした交渉事として捉えた場合、今ひとつ戦略がはっきりしていないのではないだろうか。
日本が国連の常任理事国入りを実現させるには、各国の賛同を集めるための多数派工作が不可欠である。しかし、そこでの鍵を握るアフリカ諸国などに対して柔軟な対応をしているとは言い難い。
むしろ、日本の常任理事国入りを阻止しようとしている中国に先回りされ、アフリカ諸国を取り込まれてしまっているのが実情だ。
【著者】中村繁夫(なかむらしげお)
1947年京都府生まれ。京都府立洛北高校卒業後、静岡大学農学部木材工業科に進学。大学院に進むが休学し、世界放浪の旅へ出かける。ヒッピーのような生活を続けながら、ヨーロッパ、ブラジル、アメリカなど30数カ国を放浪する。約3年の旅を終え、大学院に復学、修士課程を修了。旅を続ける中で、商社の仕事、レアメタルという商材に興味を覚え、繊維と化学品の専門商社、蝶理に27歳の新入社員として入社。約30年勤務し、そのほとんどをレアメタル関連部門でのレアメタル資源開発輸入の業務に従事する。蝶理の経営状況悪化により、55歳でいきなりのリストラ勧告。レアメタル事業をMBOで引き継ぐことを決意し、2003年、蝶理アドバンスト マテリアル ジャパンの社長に就任。翌年、MBOを実施し独立。アドバンスト マテリアル ジャパンの代表取締役社長に就任した。中国、ベトナムをはじめとするアジア各地で会社を設立し、ビジネスを幅広く展開。日本の「レアメタル王」として知られる。交渉を通じて数多くの失敗を経験するなかで、ベトナムの交渉術(対外戦略)が個人・ビジネス・国家レベルでいちばん日本人に参考になることを説く。ウェッジ等でアジアに関するコラムを数多く寄稿。著書に、『レアメタル・パニック』(光文社)、『レアメタル資源争奪戦』(日刊工業新聞社)、『2次会は出るな!』(フォレスト出版)などがある。
1947年京都府生まれ。京都府立洛北高校卒業後、静岡大学農学部木材工業科に進学。大学院に進むが休学し、世界放浪の旅へ出かける。ヒッピーのような生活を続けながら、ヨーロッパ、ブラジル、アメリカなど30数カ国を放浪する。約3年の旅を終え、大学院に復学、修士課程を修了。旅を続ける中で、商社の仕事、レアメタルという商材に興味を覚え、繊維と化学品の専門商社、蝶理に27歳の新入社員として入社。約30年勤務し、そのほとんどをレアメタル関連部門でのレアメタル資源開発輸入の業務に従事する。蝶理の経営状況悪化により、55歳でいきなりのリストラ勧告。レアメタル事業をMBOで引き継ぐことを決意し、2003年、蝶理アドバンスト マテリアル ジャパンの社長に就任。翌年、MBOを実施し独立。アドバンスト マテリアル ジャパンの代表取締役社長に就任した。中国、ベトナムをはじめとするアジア各地で会社を設立し、ビジネスを幅広く展開。日本の「レアメタル王」として知られる。交渉を通じて数多くの失敗を経験するなかで、ベトナムの交渉術(対外戦略)が個人・ビジネス・国家レベルでいちばん日本人に参考になることを説く。ウェッジ等でアジアに関するコラムを数多く寄稿。著書に、『レアメタル・パニック』(光文社)、『レアメタル資源争奪戦』(日刊工業新聞社)、『2次会は出るな!』(フォレスト出版)などがある。