カルチャー
2015年9月10日
宗教と政治経済の関係を説明する一つのセオリー
[連載] 宗教消滅─資本主義は宗教と心中する─【2】
文・島田裕巳
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都市に流れ込む若者と創価学会


 しかし、こうした強引な布教手段が有効だったのも、時代が激しく揺れ始めていたからである。今のような時代に、折伏をやっても、新たに会員を獲得できないし、そもそも創価学会の会員でも激しい折伏を実践してはいない。
 創価学会の急速な拡大がはじまった1950年代後半は、日本が高度経済成長に突入した時代にあたっていた。この日本を大きく変えた経済のうねりは、創価学会の急速な拡大と深い結びつきをもっていたのである。

 それは、創価学会の会員の属性を見てみれば分かる。
 新宗教の信者、会員がどういった社会的な属性を持っているのか、それを明らかにしてくれる調査は少ないが、創価学会については、唯一、信頼できるものがある。
 それが、社会学者の鈴木広が福岡市で行ったものである。それについて詳しくは、拙著『創価学会』(新潮新書)や『戦後日本の宗教史』(筑摩選書)で紹介しているので、そちらを見ていただきたいが、調査結果はかなり興味深いものである。
 この調査によれば、福岡市の創価学会の会員は、学歴がかなり低いという結果が出た。高卒以上は全体の3割を占めるにすぎず、多くは小学校や中学校しか出ていない。もちろん、この時代は高校への進学率が50パーセント程度だったので、それを差し引いて考えなければならないが、少なくとも大学卒などほとんど含まれていなかったのである。
 学歴が低いために、職業は、零細商業・サービス業の業主・従業員、零細工場・建設業の工員・単純労働者などが中心だった。つまり、大半が下層の労働者だったのである。
 それも、彼らが都市に流れ込んできたばかりの人間たちだった。
 福岡市で現在住んでいる場所に生まれた者はゼロに近く、市内の別の場所で生まれた人間を加えても2割に満たなかった。福岡市の外で生まれた者が8割を超え、大部分は農家の出身だった。

 高度経済成長の時代には、産業構造の転換が起こり、農業を中心とした第1次産業から、鉱工業の第2次産業、サービス業の第3次産業へと比重が移っていった。第2次、第3次産業は都市部に花開いた産業であり、そうした産業では労働力を必要とした。
 労働力の供給源になったのが、農村部であった。農村では、長男がすべてを相続する家督相続は制度としては廃止されたものの、現実にはその形がとられ、農家の次男や三男以下は、跡取りになることができなかった。彼らは、働き口を求めて都市部へと出ていかざるを得なかったのである。
 典型は「集団就職」である。中学を卒業したばかりの子どもたちは「金の卵」ともて囃され、専用の列車に乗せられ都市部へと出ていった。この金の卵が、創価学会へと入会していったのである。
 大学を卒業すれば、大企業や官公庁に就職することもできた。しかし、学歴が低くては、そうしたことはかなわない。彼らは労働者となっても、しっかりと労働組合が組織されているような職場に入ることができず、未組織の労働者として寄る辺ない生活を送らざるを得なかった。
 そうした人間たちを吸収していったのが、創価学会だったのである。
 ほかに、立正佼成会や霊友会といった、創価学会と同じ日蓮系、法華系の新宗教も同じ時期大量の会員を増やし、巨大教団へと発展していくが、それも同じような経緯をたどってのことだった。

格差拡大が宗教団体を育てる


 高度経済成長のような経済の急速な拡大は、社会に豊かさをもたらすが、その恩恵が全体に及ぶまでには時間がかかる。したがって、経済の拡大とともに、経済格差の拡大も続き、社会的に恵まれない階層が生み出されていく。
 創価学会に入会するならば、地方から都市に出てきたばかりの人間であっても、仲間を得ることができる。彼らは同じ境遇にある人間たちであり、すぐに仲間意識を持つことができた。
 ただ都会に出てきたというだけでは、地方の村にあった人間関係のネットワークを失ってしまっているわけで、孤立して生活せざるを得ない。ところが、創価学会に入会すれば、都市部に新たな人間関係のネットワークを見出すことができるのである。
 創価学会では、会員の集まりを「座談会」と呼んだ。
 これは、会員たちが会員宅に集まって、お互いの体験を告白するための機会であり、他の会員からの励ましを得ることができた。
 また、創価学会では、「教学試験」というものを実施し、日蓮信仰にかかわる事柄を問題として出し、それに合格した人間には、「教授」などの資格を与えた。そうした資格は、創価学会の組織のなかでしか意味をもたないものだが、学齢のない者には大いなる誇りになり、何より、試験のために勉強することで、学校に通っていないため得られなかった識字能力を獲得することができた。

 しかも、戸田城聖は、「現世利益」の実現を掲げ、信仰し、折伏を実践すれば、それで「功徳」を得ることができると宣伝した。それは、都市に出てきたばかりで貧しい暮らしをしていた人間たちに、強くアピールするものだったのである。
 このように見ていくと、高度経済成長の時代に創価学会が多くの信者を獲得し、巨大教団へと発展していったのは必然的なことであったと見ることができる。

 しかも、戸田は、1950年代の半ばから、政界への進出を行い、幹部たちを地方議会や参議院の議員に送り込んでいった。選挙活動は、布教活動と重なっており、折伏によって会員を増やすことが、候補者の得票数を増やすことに直結した。
 当初、戸田は、政界に進出する目的は、「国立戒壇」の建立にあるとしていた。これは、創価学会に入会した会員たちが、同時に入信する日蓮宗の一派、日蓮正宗を日本の国教に祀り上げようとする試みであり、そうした目標が掲げられることで、会員たちの熱意は余計に高まった。

世界の宗教を考えるために決定的に重要な鍵


 しかし、次第に国立戒壇の建立という目標は背景に退き、むしろ、大衆福祉の実現ということが、政治の世界に進出するための目標として設定されるようになっていく。それも、会員となった人間たちの多くが、社会福祉の対象となる貧しい階層に属していたからである。創価学会の会員は、政治的な力を獲得することで、豊かな生活を実現しようとしたのである。

 このように、創価学会が巨大化していった背景には、「高度経済成長という経済の大きなうねり」があった。経済の急速な発展は、格差の拡大などのひずみを生む。そのひずみが、新しい宗教を発展させる。そして、急拡大した宗教は、政治的な力を獲得する方向にむかう。

 これが、一つのセオリーである。経済と宗教、そして政治との関係を説明してくれるものである。このセオリーは、これから見ていくように、世界の宗教の動向を考える上で、決定的に重要な鍵となるものなのである。

(続)





宗教消滅
資本主義は宗教と心中する
島田 裕巳 著



【著者】島田 裕巳(しまだ ひろみ)
現在は作家、宗教学者、東京女子大学非常勤講師、NPO法人葬送の自由をすすめる会会長。学生時代に宗教学者の柳川啓一に師事し、とくに通過儀礼(イニシエーション)の観点から宗教現象を分析することに関心をもつ。大学在学中にヤマギシ会の運動に参加し、大学院に進学した後も、緑のふるさと運動にかかわる。大学院では、コミューン運動の研究を行い、医療と宗教との関係についても関心をもつ。日本女子大学では宗教学を教える。 1953年東京生まれ。東京大学文学部宗教学宗教史学専修課程卒業、東京大学大学院人文科学研究課博士課程修了。放送教育開発センター助教授、日本女子大学教授、東京大学先端科学技術研究センター特任研究員を歴任。主な著書に、『創価学会』(新潮新書)、『日本の10大新宗教』、『葬式は、要らない』、『浄土真宗はなぜ日本でいちばん多いのか』(幻冬舎新書)などがある。とくに、『葬式は、要らない』は30万部のベストセラーになる。生まれ順による相性について解説した『相性が悪い!』(新潮新書)や『プア充』(早川書房)、『0葬』(集英社)などは、大きな話題になるとともに、タイトルがそのまま流行語になった。
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