カルチャー
2015年11月26日
日本にキリスト教を伝えた「ポルトガル」の経済的窮状
[連載] 宗教消滅─資本主義は宗教と心中する─【13】
文・島田裕巳
  • はてなブックマークに追加

世界中で同時多的に進行する「宗教」の消滅。人類社会からの宗教の消滅を予言する本連載。今回は、ヨーロッパの西端・ポルトガルの経済的窮状からみていく。ヨーロッパの財政破綻の問題は、ニュースになって久しいが、そんな経済的な背景が、宗教とも密接に結びついている。資本主義が、宗教の土台となるべき農村を駆逐しているのである。長期連載、13回目。


日本にキリスト教を伝えたポルトガルという国


 ヨーロッパでは、ギリシアに代表されるような経済危機が頻発し、EUの未来は決して明るいものではないと考えられるようになってきた。

 そのなかで、2013年にはポルトガルの経済危機が話題になった。ポルトガルは、日本から遠く、ヨーロッパの西の端にあるため、日本人が関心を抱きにくい国だが、かつて日本に鉄砲を伝えたのはポルトガル人である。
 また、日本にキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエルは、現在はスペインに含まれるナバラ王国の出身だが、彼を日本に派遣したのはポルトガル王のジョアン3世である。日本に西欧文明を伝える上においてポルトガルの果たした役割は大きい。

 ポルトガルの経済危機に際しては、政治的な危機をともなったが、それは、国際支援機関からポルトガル政府が緊縮財政を求められ、それにポルトガル国民が反発したからである。このパターンは、ギリシアの場合とそっくりだ。
 ポルトガルの場合、1999年にユーロが導入されてからも、経済成長は進まず、2008年までの実質GDPの伸び率は平均で1.3パーセントにとどまった。1人当たりのGDPの伸び率となると、2001年から11年まで横ばいだった。要は、経済が発展していないわけで、経済協力開発機構(OECD)によれば、ポルトガルの潜在成長率は年0.5パーセントに満たないとされている(「ポルトガル危機、ユーロ圏周辺国の構造問題を露呈」『ロイター』2013年7月4日付)。

 多額の債務を抱え、一方で経済の成長が見込めないなら、緊縮財政をとるしかない。しかし、緊縮財政は経済発展をむしろ抑制する可能性があり、本質的な解決策とは言えない。それに、国民の生活は苦しくなるのだから、ポルトガルの人々が緊縮財政に賛成するわけはないのである。

「この国は、借金返済なんてとてもムリ」


 ちょうどこの頃、私はあるテレビ番組に出演した際、ポルトガル人の女性の出演者と話をする機会があった。彼女が言うには、ポルトガルには、日本とは違い、大企業などない。たしかに、ポルトガルの大企業のことなど聞いたことがない。ワインの生産などが中心で、これではとても経済を発展することなどできない。したがって、海外から借り受けた借金を返済しろと言われても、どうしようもないというのである。
 たしかに、ポルトガルの主要な産業は農業や水産業、食品繊維工業、それに観光である。オリーブや小麦、ワインの生産は盛んだが、重工業などは発達していない。かつてはスペインと競うように海外に植民地を広げていったが、1975年には最終的にそれを一度に失っている。

 たしかに、ポルトガル人の女性が言うように、これでは経済の立て直しを計ることは難しい。現在のポルトガルの経済規模は、埼玉県よりやや大きいというレベルである。
 オリーブ・オイルの生産量は世界で第7位、ワインは第10位である。だからといって、オリーブやブドウの畑を増やしていくことも難しい。16世紀のイタリアで、ワイン畑が山の上にまで作られた話についてはすでにふれたが、畑を増やせなければ、ポルトガルの経済が成長することなど不可能なのである。

 日本も、戦前においてはまだ農業国だったが、戦後の経済成長によって産業構造の転換がはかられ、鉱工業やサービス業が発展した。その結果、多くの企業が生まれた。そのなかには大企業も少なくない。日本の大企業の代表はトヨタ自動車だが、2015年3月の連結売上高は27.2兆円に及んでいる。他にも、莫大な売上高を誇る大企業には事欠かない。
 そうした国に生きている私たちは、日本の状況が当たり前だと考えてしまいやすい。しかし、実際には、どの国にも大企業が存在するわけではないのである。

 大企業が存在しない国では、中小企業や農業が産業の中心であり、生産性を上げようとしても、すぐに限界に達してしまう。それでは、経済危機が起こっても、解決する見通しは生まれない。借金を抱えてしまえば、それを返す見通しはまったく立たない。ギリシアの危機が深刻なものになったのは、ギリシア経済が脆弱だからだが、農業や観光でしか金を稼げない国が、日本やドイツのようにふるまうことなど到底不可能である。






宗教消滅
資本主義は宗教と心中する
島田 裕巳 著



【著者】島田 裕巳(しまだ ひろみ)
現在は作家、宗教学者、東京女子大学非常勤講師、NPO法人葬送の自由をすすめる会会長。学生時代に宗教学者の柳川啓一に師事し、とくに通過儀礼(イニシエーション)の観点から宗教現象を分析することに関心をもつ。大学在学中にヤマギシ会の運動に参加し、大学院に進学した後も、緑のふるさと運動にかかわる。大学院では、コミューン運動の研究を行い、医療と宗教との関係についても関心をもつ。日本女子大学では宗教学を教える。 1953年東京生まれ。東京大学文学部宗教学宗教史学専修課程卒業、東京大学大学院人文科学研究課博士課程修了。放送教育開発センター助教授、日本女子大学教授、東京大学先端科学技術研究センター特任研究員を歴任。主な著書に、『創価学会』(新潮新書)、『日本の10大新宗教』、『葬式は、要らない』、『浄土真宗はなぜ日本でいちばん多いのか』(幻冬舎新書)などがある。とくに、『葬式は、要らない』は30万部のベストセラーになる。生まれ順による相性について解説した『相性が悪い!』(新潮新書)や『プア充』(早川書房)、『0葬』(集英社)などは、大きな話題になるとともに、タイトルがそのまま流行語になった。
  • はてなブックマークに追加