カルチャー
2015年10月8日
韓国の宗教――戦後、キリスト教の驚異的な成長
[連載] 宗教消滅─資本主義は宗教と心中する─【6】
文・島田裕巳
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韓国にキリスト教が急速に普及した理由


 さらに、朝鮮戦争の後、アメリカを中心とした国連軍が入ってくることで、キリスト教が韓国社会により浸透しやすくなった。そのため、1960年代なかばからの「漢江の奇跡」と呼ばれる驚異的な経済成長の時代に入ると、キリスト教が急激に信者数を増やしていったのである。
 日本の場合には、戦後急成長したのは、創価学会をはじめとする日蓮系・法華系の新宗教であった。それも、日本では、一般民衆のあいだにも仏教の信仰が浸透しており、それが基盤になっていたからである。

 韓国でも、李氏朝鮮の時代に抑圧されたとはいえ、現在でも仏教の信仰をもっている人間が少なくない。人口の4分の1は仏教の信者である。

 しかし、経済成長が進めば、地方から都市部への人口の移動ということが必然的に起こる。韓国の場合には、首都であるソウルを中心とした地域に一極集中する傾向が見られた。
 経済成長がはじまる1960年の時点で、ソウル首都圏の人口は519万人で、総人口の20.8パーセントだった。それが、2000年末の時点では、2135万人と4倍近くに増え、総人口の46.3パーセントを占めるにいたった。
 最近では、人口集中も限界に達したのか、ソウル首都圏の人口は減り始めているようだが、1960年から2000年までの40年間の増加の割合は、まさに驚異的である。

 要するに、ソウルを中心とした地域においては、地方出身者が圧倒的多数を占めるにいたったのである。

 地方では、社会道徳としては儒教の影響が強く、信仰としては仏教が主体であった。しかし、都会に出てきた時点で、都市部への移住者たちは、信仰をもってはいなかった。
 そのとき、キリスト教が彼らを信者として取り込んでいったのである。

知識層に広がった日本、庶民に広がった韓国


 ここで一つ重要なことは、日本で広がっているキリスト教と、韓国で広がっているキリスト教のあいだには大きな違いがあるということだ。
 日本のキリスト教は、19世紀に近代化を進めていくなかで、欧米から採り入れられたもので、キリスト教の信者のなかには、知識階級が多かった。彼らは、西欧の進んだ文明や文化に対する強い憧れがあり、その背後にキリスト教の存在を見ようとした。キリスト教は、日本の神道や仏教と比較して、知的で体系的、さらに言えば合理的な信仰であると理解され、知識階級がとくに関心をもったのである。
 しかし、キリスト教にそうしたイメージがつきまとうようになった結果、日本では一般の庶民層にまで浸透していくことにならなかった。庶民にとっては、現実の生活を成り立たせていくことがもっとも重要な課題であり、宗教についても、生活のなかで生じる数々の問題や悩みを解決してくれるものではなければならなかったからである。
 そもそも日本では、仏教と神道が入り交じった信仰が受け継がれてきていた。それが壁になり、日本にはそれほどキリスト教が浸透しなかったのである。

 ところが、韓国では、キリスト教はシャーマニズムの文化と融合し、習合することによって、庶民層にまで広がっていった。それは、日本のキリスト教には起こらなかったことである。

 韓国のキリスト教、とくにプロテスタントの宣教師のなかには、説教壇で神憑りするような、日本で言えば新宗教の教祖にあたるような人間たちも少なくない。あるいは、宣教師の熱狂的な説教によって、信者たちが神憑り状態に陥ることもある。そうしたシャーマニズムと習合したキリスト教は、病気治療などの現世利益の実現を約束して庶民の信仰を集めていった。

 それは、日本の戦後社会において、日蓮系・法華系の新宗教が、現世利益の実現を掲げ、病気直しなどによって信者を増やしていったのと同じ現象である。
 そうした信仰でなければ、庶民にまでキリスト教が浸透することは考えられない。したがって、韓国人の知識階級に属するキリスト教徒は、「偽のキリスト教」であるといったみられ方をしている。

 そうした知識人階級のキリスト教観を代表している本が、浅見雅一・安延苑『韓国とキリスト教―いかにして"国家的宗教"になりえたか』(中公新書)である。
 この本は、韓国におけるキリスト教の歴史と現状、あるいは問題点を概観してくれるもので、新書であるためコンパクトで、便利な本である。
 だが、この本を読み進めていっても、庶民層に浸透したシャーマニズムと習合したキリスト教については、ほとんど述べられていない。そんなものは、韓国社会に存在しないかのようにさえ思えてくるのである。

 経済成長の時代のソウルへの人口の集中と宗教との関係について扱った部分で、この時代には、「仏教・儒教・新宗教までもが勢力を伸ばしているが、キリスト教は特に成長が著しかった」とわずかに述べられる。そこで「カリスマ的聖職者の許に、その地域とは必ずしも関係のない多数の信者が集まるようになり」と、カリスマ的聖職者という表現が使われている。
 これこそが、説教壇でシャーマニズムを実践する教祖的な宣教師のことをさしている。

 日本の戦後社会においては、現世利益の実現をうたい文句に新宗教が勢力を拡大したように、韓国では、同じような主張を展開したカリスマ的聖職者に率いられた庶民的なキリスト教が急成長したわけである。






宗教消滅
資本主義は宗教と心中する
島田 裕巳 著



【著者】島田 裕巳(しまだ ひろみ)
現在は作家、宗教学者、東京女子大学非常勤講師、NPO法人葬送の自由をすすめる会会長。学生時代に宗教学者の柳川啓一に師事し、とくに通過儀礼(イニシエーション)の観点から宗教現象を分析することに関心をもつ。大学在学中にヤマギシ会の運動に参加し、大学院に進学した後も、緑のふるさと運動にかかわる。大学院では、コミューン運動の研究を行い、医療と宗教との関係についても関心をもつ。日本女子大学では宗教学を教える。 1953年東京生まれ。東京大学文学部宗教学宗教史学専修課程卒業、東京大学大学院人文科学研究課博士課程修了。放送教育開発センター助教授、日本女子大学教授、東京大学先端科学技術研究センター特任研究員を歴任。主な著書に、『創価学会』(新潮新書)、『日本の10大新宗教』、『葬式は、要らない』、『浄土真宗はなぜ日本でいちばん多いのか』(幻冬舎新書)などがある。とくに、『葬式は、要らない』は30万部のベストセラーになる。生まれ順による相性について解説した『相性が悪い!』(新潮新書)や『プア充』(早川書房)、『0葬』(集英社)などは、大きな話題になるとともに、タイトルがそのまま流行語になった。
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