カルチャー
2015年12月10日
「統一教会」「幸福の科学」で進む信者の高齢化
[連載] 宗教消滅─資本主義は宗教と心中する─【15】
文・島田裕巳
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農村から若者を吸収する都市


 幸福の科学の信者になった人間たちは、高度経済成長とはまったく関係がない。しかし、1980年代後半の日本ではバブル経済がふくらんでいた。この時代にも、地方から都会に出てくる人間の数も増えていた。高度経済成長の時代ほどではないが、そうした地方出身者が幸福の科学に入信した可能性が考えられるのである。

 その後、バブルがはじけた。それから、金融危機と言われる事態が起こるまでには数年のタイムラグがあり、1997年から事態は深刻化するが、そうなると、当然、都会に出てくる人間の数は減る。金融危機のなかで、都会に出ていくメリットが少なくなったからである。それは、幸福の科学への入信者を減らすことにつながる。

 こうした事例から考えると、経済の動きというものは、ある意味残酷なものである。  経済が急速に発展していく時代においては、都市化が進行し、都市では労働力が不足する。それを、地方の農村部から人口移動が起こることで補っていくことになり、都市に移ってきた人間たちは、地方の共同体から切り離されるために、都会では孤独な生活を送らざるを得ない。
 そのとき、新宗教の教団から勧誘されると、そちらになびいてしまいやすい。格別信仰に興味がなかったとしても、都会でも仲間を得られることの喜びと安心感は大きいのである。

新しい信者が入ってこない


 かくして、新宗教教団は信者数を伸ばし発展する。ところが、一時期に急速に信者が増えることは、問題を後に残すことになる。
 まず、経済状況が変わることで、新しい入信者がそもそもいなくなる。しかも、特定の世代の人間たちが教団の中心を占めているために、その後の世代はその輪の中に入りにくい。たとえ入ることができたとしても、役職は上の世代に独占され、自分たちには重要な役職が廻ってこない。それでは、教団の組織に加わるメリットもないのである。

 これによって、新宗教教団の年齢構成は、ある特定の世代だけが突出するいびつなものになっていく。組織としての新陳代謝は進まず、運動は停滞し、よけい新しい世代が入信していくことはなくなる。そうなれば、ある時期に信者の高齢化という事態に直面せざるを得ない。
 それまでも、新しい信者が入ってこないのだから、高齢化したときには、ますます運動が難しくなる。打つ手はない。ただ、高齢化のいっそうの進展を手をこまねいて見守っていくしかないのである。

 それは、新宗教の場合、信仰を獲得した第一世代から、その子どもである第二世代に継承が進まないからでもある。第一世代には、その宗教に入信するに至る動機がある。ところが、第二世代にはそれがない。それでは、親の信仰を子どもが受け継ぐということが難しいのである。

 それが、既成宗教と新宗教とを分ける壁でもある。既成宗教の場合には、信仰は代々受け継がれていくものであり、現在信仰している人間は、個人的な動機からその宗教を選択したわけではない。親が信仰しているからそれを受け継いだだけである。信仰に対して強い情熱をもっていないために、かえってそれを自分たちの子どもに伝えやすい。信者になっても、熱心に信仰活動を実践する必要がないからである。

高齢化が加速する日本の新宗教


 統一教会の信者数は、教団の側が公表していないので、はっきりとしたことは分からないが、関係者は5万人程度ではないかと推測している。幸福の科学の場合にも、実数は同じくらいであろう。その点では、他の新宗教に比べて規模は小さく、その分、高齢化という事態が進行していても、さほど注目されることはない。

 しかし、この二つの事例から考えて、多くの新宗教教団において、共通した事態が進行していることは考えられる。
 実際、これまでとくにPL教団や生長の家などを取り上げて、新宗教が現状において大幅な衰退の気配を見せていることを示してきた。他の教団でも、同じような事態が進行している。

 そうした新宗教の教団は、やはり高度経済成長という経済の波に乗って信者数を増やしてきたところが多い。天理教などは、戦前から信者数を増やしているし、生長の家についてもその傾向はある。PL教団の場合も、実は戦前にかなりの信者数の伸びを経験しているが、弾圧された結果、戦後には再スタートを切る形になっていた。
 一方、創価学会をはじめとする日蓮系、法華系の新宗教は、立正佼成会や霊友会を含め、高度経済成長の時代に信者数は爆発的に伸びた。新たに都市に出てきたばかりの人間たちがターゲットになり、それで教団は拡大したのである。ということは、今、そうした教団では、信者の高齢化が急速に進んでいることが予想されるのである。

(続)





宗教消滅
資本主義は宗教と心中する
島田 裕巳 著



【著者】島田 裕巳(しまだ ひろみ)
現在は作家、宗教学者、東京女子大学非常勤講師、NPO法人葬送の自由をすすめる会会長。学生時代に宗教学者の柳川啓一に師事し、とくに通過儀礼(イニシエーション)の観点から宗教現象を分析することに関心をもつ。大学在学中にヤマギシ会の運動に参加し、大学院に進学した後も、緑のふるさと運動にかかわる。大学院では、コミューン運動の研究を行い、医療と宗教との関係についても関心をもつ。日本女子大学では宗教学を教える。 1953年東京生まれ。東京大学文学部宗教学宗教史学専修課程卒業、東京大学大学院人文科学研究課博士課程修了。放送教育開発センター助教授、日本女子大学教授、東京大学先端科学技術研究センター特任研究員を歴任。主な著書に、『創価学会』(新潮新書)、『日本の10大新宗教』、『葬式は、要らない』、『浄土真宗はなぜ日本でいちばん多いのか』(幻冬舎新書)などがある。とくに、『葬式は、要らない』は30万部のベストセラーになる。生まれ順による相性について解説した『相性が悪い!』(新潮新書)や『プア充』(早川書房)、『0葬』(集英社)などは、大きな話題になるとともに、タイトルがそのまま流行語になった。
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